【怖い話】風邪をひかない男
2021/04/14
Tさんが働く会社には、『絶対風邪をひかない男』と呼ばれるEさんという社員がいた。
Eさんは独身で、15年の勤務で一度も体調不良になったことがないという伝説の持ち主だった。
Eさんの身体が人一倍丈夫だとかではない。
タネを明かせば単純な話で、Eさんが徹底的に予防しているからなのだ。
それだけ聞けば、自己管理がしっかりできている人に思えるが、Eさんの場合はちょっと違う。
もはや偏執的ともいえるほどの健康へのこだわりを持っていた。
ルーティンを破り体調にさわるのが嫌だという理由で会社の飲み会には一切来ないし、お酒は飲めても家ですら一滴も飲まないらしい。
健康にいいというお茶を常に飲んでいて、お昼はサラダと大豆製品のみ。複数のサプリを常用して栄養が偏らないよう調整している。
適度に運動はするが、身体を壊すような無茶は決してしない。
マスクは欠かさず、会議があるたび手洗いうがいをしてスーツにアルコール除菌を吹きかける。
なぜそこまで健康にこだわるのかと聞くと、Eさんは「風邪をひきたくないから」と答えたという。
それ以来、風邪をひかない男という、半ば侮蔑的なあだ名がEさんにつけられたのだった。
社内で少しでも風邪をひいている人がいたら、露骨に嫌な顔をし、「人にうつすまえに早く帰るべきだ」と上も下も男も女も関係なく痛罵する。
会社でのEさんは、ちょっと変わっていて、過ぎた健康志向の持ち主と見られていて、彼を好ましく思ってない同僚も多かった。
どちらかというと自堕落なTさんも、Eさんのことは苦手だった。
しかし、ある時、Eさんが思っていたのとは全く違う人だということをTさんは知ることになる。
ある年のこと。
Tさんは、Eさんと2人で名古屋に1泊2日の出張に行くことになった。
自分のルールが多いEさんとの出張は行く前から気づまりだった。
話している分にはごく普通の人なのだが、新幹線の座席を除菌しだりして健康へのこだわりを見せつけられると少し辟易とした。
無事、客先での仕事を終え、その日泊まるホテルに向かう道すがら、Tさんはどうせ無駄だと思いながらも、Eさんを飲み屋に誘ってみた。
すると、Eさんは、少し迷っているように飲み屋が並ぶ通りの入り口で立ち止まった。
すぐに断るのが常だったので、迷うこと自体が意外だった。
しかも、お腹をすかせた子供のように、飲み屋の軒先でビールを飲むサラリーマンをうらやましそうに見ている。
「私はやっぱりよしておくよ」
結局、Eさんは誘いを断った。
「ほんとはEさんも飲みたいんじゃないですか?いっぱいだけどうですか?」
いつもと違うEさんの反応が面白くて、Tさんも粘ってみた。
すると、Eさんは眉間に皺を寄せ苦しそうに声を漏らした。
「ダメなんだ。風邪をひいたりしたら、、、恐ろしい目にあうから」
Eさんはそう言って、飲み屋街を振り切るように、ホテルに向かう道に戻った。
Tさんは、Eさんが言った最後のセリフが気になって、飲み屋には向かわず、Eさんの後を追うことにした。
「風邪をひいたら、恐ろしい目にあうってどういうことですか?」
「・・・人が聞いて愉快な話じゃないよ」
「余計に気になるなぁ、教えてくださいよ」
TさんはEさんと並んで歩きながら食い下がった。
無害そうな顔をしているTさんは昔から人の打ち明け話を引き出すのがうまかった。
それは、Eさんでも例外ではなかったらしい。
何度か粘るうち、Eさんは会社の誰も知らない過去の話をTさんに打ち明けてれた。
「大学の時、1年ほど付き合ってた彼女がいたんだけど、私が健康にこだわるのはその彼女が原因なんだ。
彼女は年上で看護師としてすでに社会に出て働いていた。
そんなある時、私はひどい風邪をひいてダウンしてしまって、一人暮らしのアパートで寝込んでいた。
薬を飲んでもなかなか咳も熱も治らなくて、そしたら彼女が仕事の忙しい合間をぬってお見舞いに来てくれた。
実家から離れて1人暮らしだったから看病してもらえるのはとても嬉しかったし、ありがたかったよ。
胃に優しいものを食べさせてもらったり、頭にのせたタオルをかえてくれたり、汗を拭いてくれたり、それは親身になって看病してもらってさ。
本当に幸せだったよ・・・はじめはね」
話している間にホテルに到着し、結局、EさんとTさんは、ホテルのバーに入った。
Eさんは最後までルーティンを破るのを躊躇していたが、一杯だけビールを注文した。
Eさんがお酒を飲むのは大学生以来という。
実に15年ぶりとのことだ。
Eさんはおいしそうにゴクゴクと喉を鳴らしてビールを飲んだ。
「けど、いくら安静にして薬を飲んでも風邪はしつこくて治らなかった。
ずっと熱っぽくて、だるくて仕方なくて、日中はほとんど寝ていた。
ふと目を覚ますと、嗅いだことがない強烈なにおいをかいだんだ。
台所で鍋で何かを煮ている彼女の後ろ姿が見えた。
においはその鍋からだった。
何を作っているのか聞くと、『身体にいいもの』と彼女は答えた。
しばらくすると、彼女が鍋の中身をお皿によそって持ってきた。
ドロドロした白色の液体で、見た目はお粥や甘酒みたいだった。
けど、その液体から、かいだことがない強烈なニオイがして鼻がもげそうだった。
『何が入ってるの?』
もう一度聞いてみても、彼女は、
『滋養にいいもの』
とボカすだけだった。
せっかく作ってもらったし、ニオイはひどいけど飲んだら味は悪くないことを期待して、一口分、スプーンですくって口に含んでみた。
味はもっと最悪だった。
なんとも形容しようがないけど、腐った魚を煮込んだものを数日間さらに放置したみたいな味だった。
吐き気がこみ上げてきたけど、彼女の手前、がんばって飲み込んだ。
胃の中で、動物が暴れているみたいな胸焼けがすぐにした。
毒でも飲んだのかなと真剣に思ったよ。
それでも彼女のことが好きだったから、『おいしかったよ。ありがとう』と感想をいった。
でも、さすがにもう一口飲んだら胃の中のものを吐き出す自信があったから、お皿を置いて、『まだ食欲が戻らなくて』と弁解した。
『だめよ、全部飲まないと。全部飲まないとこれはきかないの』
彼女の言葉に私は愕然とした。
薬だとしても、およそ食べ物とは思えない味をした正体不明の料理だ。
一皿分も食べたら、治るどころか死んでしまうと真剣に思った。
『なにが入ってるの、これ』
せめて正体を知りたいと思い聞いてみても、
『秘密。健康にとてもいいものだよ』
と言われるだけで、いくら食い下がっても教えてもらなかった。
『ごめん、今は食欲なくて・・・』
私が断ると、彼女はお皿を自分でもってスプーンで液体をすくい私の口元に運んだ。
ニコニコと笑っているが、有無を言わせない顔つきだった。
はたから見れば、体調を崩した恋人に料理を食べさせる献身的な姿にうつっただろう。
けど、その時の私には、とてもじゃないけど、そんな理想の恋人には見えなかった。
私は彼女への好意と、このゲテモノ料理を食べることを天秤にかけ、迷いに迷って何とかふた口目を口に入れた。
口の中から猛烈な腐臭が鼻を突き抜けた。
すぐに吐き気を催した。
トイレで戻そうと思って起き上がると、彼女に肩をおさえつけられた。
『ダメよ。吐いたら薬の意味がないわ』
私が弱ってたからなのかわからないけど、肩を押さえる彼女の力があまりに強くて、びくともしなかった。
結局、気合でなんとか液体を飲み下した。
もうこれでいいだろうと彼女の方を見ると、すでに3口目がスプーンの上で待ち構えていた。
『もう無理だよ、本当に』
『なにいってるの?これ全部食べないとダメよ』
私は、その後、1皿分まるごと、正体不明の液体を飲まされた。
全て飲み終わる頃には、嫌な脂汗が顔から滝のように流れてて、胃の中はダイナマイトが爆発したみたいに燃えていた。
最後の一口を飲み終えると、私はそのまま意識を失った」
そこまで言うと、Eさんは喉をしめらせるためビールを含んだ。
「なんだったんですか、その白い液体は?」
Tさんが尋ねるとEさんは苦々しそうに吐き捨てた。
「・・・今だにわからない。気になって私も調べてみたんだけど、該当するような食材は見当たらなかった・・・でも、あ、話の続きなんだけど、結局、次の日になると体調は回復してたんだ。
あのマズくて気味の悪い液体に、本当に効果があったのかと驚いたよ。
彼女は仕事があるから帰っていた。
テーブルの上に彼女のメモが残っていた。
『起きたら残さず食べてね』
なんのことかと思って冷蔵庫を開けると、鍋が入っていた。
蓋を開ける手が震えた。
わかるだろ?
まさかと思ったけど、恐れていた通りだった。
鍋いっぱいに、あの白い液体がなみなみ入っていたんだ。
私は迷わず流しに全部捨てたよ。
見るのも嫌だった。
すると、タイミングよく彼女から電話がかかってきた。
『ちゃんと食べた?』
『・・・あ、うん、もちろん』
『嘘。捨てたでしょう?』
なんでわかるんだろうと怖くなった。
『まさか、ちゃんと飲んだよ』
『嘘つかないで。私にはわかるの。今日も仕事が終わったら行くから。今度はちゃんと飲んでね』
彼女はまたあの不気味な液体を作る気に違いないと思った。
『もう体調がいいんだ。だから今日はもういいよ』
『ダメよ。まだ万全じゃないでしょう?』
私は電話を切ると、すぐにアパートを出て友達の家に向かった。
夜、彼女から何度も電話があったけど、反応せずに着信拒否にした。
もうとてもじゃないけど、彼女と付き合っていこうなんて思えなかった。
正直、まともとは思えなかったし、一刻も早く別れたかった。
だから、彼女から逃げるようにアパートを引き払って、新しい部屋に移った。
でも、それで終わらなかった。
だいぶたって、もう彼女のことを忘れかけていた頃、またちょっと体調を崩したんだ。
大学の授業を早退して、早めに家に帰って、郵便受けを開けると宛名のない小包が入っていた。
なんだろうと思って部屋に戻って小包を開けて、私は絶句した。
中には瓶が入っていた。
中身は、彼女が作っていたあの白い液体だった。
『はやくよくなってね』とメモが添えられていた。
筆跡は間違いなく彼女のものだった・・・」
「え?ストーカーってことですか?」
「まぁ、そうなるのかな。その後、どんなに引っ越して部屋を変えても、体調が悪くなるたび彼女から例の液体が送られてきた。けど、体調を崩さない限りあの液体が送られてこないことがわかった。だから、私はなにがなんでも風邪をひかないよう体調管理をしているんだ。これが理由だよ」
Tさんは、言葉に詰まった。
「なんか怪談みたいですね。なんで引っ越し先の住所わかるんですかね、、、」
「時折思うんだ。彼女は、本当に、私達と同じこの世の人なのかなって。彼女の正体が妖怪だとしても、私は全く驚かないね」
気づくとだいぶ遅い時間になっていた。
TさんとEさんは会計をすませ、それぞれの部屋に向かった。
翌朝、朝食を食べるためレストランに降りたTさんは、先にきていたEさんと同じテーブルに座った。
Eさんはあまり顔色がよくない。
「昨日、ルーティンを破ってアルコールを摂取したのがよくなかったみたいだ」とEさんは言った。
Eさんが、ふいに咳きこんだ。
「大丈夫ですか?」
Tさんが気遣うとEさんは「あぁ、大丈夫」と答えた。
しかし、次の瞬間、TさんとEさんは2人とも固まった。
いつのまにか、テーブルの上にコップが一つ増えていた。
そのコップには、Tさんが嗅いだことがない強烈なにおいを放つ、白いドロドロとした液体が入っていた・・・。
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