【怖い話】異世界トイレ

小学校5年生のNくんはランドセルを家に置くといつもの公園に向かった。

Nくんの自宅から歩いて15分のところにある公園はブランコや鉄棒などの遊具の他に、学校のグラウンドくらいの広場があってサッカーや野球をするのにちょうどよかったので、地元の小学校の生徒達が、放課後の遊び場としてよく使っていた。

Nくんが公園に到着すると、同級生の男の子達が広場ではなく公衆トイレの前に集まっていた。
なんだろうと思いながらみんなに合流すると、クラスメイトのFくんが男子トイレの中に入っていくところだった。
「なにやってるの?」
近くにいた友達の1人に声をかけると、
「Fが、『開かずのトイレ』の中を見るって」
と返事があった。

その公園には、公衆トイレが備えつけられているのだけど、男子トイレの一番奥の個室は板で打ちつけられて「使用禁止」の張り紙がずっとつけられていた。
『開かずのトイレ』は地元の子供なら誰もが知っている怪談だ。
ノックすると誰もいないのに返事があると言われていて、個室の中を覗くと呪われるという噂だった。
なので、この男子トイレを本来の目的のために使う子供はほとんどおらず、たまにこうやって思い出したように肝試しで盛り上がる。

みんなが見守る中、Fくんがトイレの奥に進んでいく。
あまり使われていないからだろうか、トイレの中はいつも薄暗くて気温も外より寒いという話だった。
Fくんが一番奥の個室に近づくにつれ、野次馬の子供達の緊張は高まっていった。
Fくんは、開かずの個室の前にたどり着くと、一度、Nくん達の方を振り返ってから、ジャンプして個室のドアの上につかまりグイッと身体を持ち上げて個室の中に顔を突っ込んで覗き見た。
「なんもない!普通のトイレ!」
Fくんの声がした。
すると、Fくんは何を思ったのか、ふいにドアの上に足をかけてよじ上り個室の向こうにおりていった。
Nくんの周りの同級生から歓声があがった。
Nくんも固唾を飲んで見守った。
今まで中を覗いた子は何人かいたけど、個室の中まで入った子は1人もいなかった。
Fくんは、この地域の子供達の中で最も度胸があることを証明したのだ。

ところが、個室の中に入ってからFくんの声が聞こえなくなった。
それどころか身動きするような音も聞こえない。
「F、どうだ?」
焦れた1人が声をかけた。
それでもFくんの返事はない。
様子がおかしい。
何人かの子が連れ立って、トイレの中に入って確かめにいった。
そのうちのひとりがドア枠につかまって、個室の中を覗いた。
「Fがいない!誰もいない!」
Fくんが密室の個室から消えてしまった。
子供達は恐ろしくなってクモの子を散らすように逃げていった。
個室を覗いた子がトイレから戻ってくるとNくんは聞いてみた。
「ほんとにいないの?」
「うん・・・」
真っ青な顔をしていて、嘘を言っているようには見えなかった。
トイレに確認にいったメンバーを中心に、しばらく公園でFくんを待っていたけど、暗くなってもFくんがトイレから戻ってくることはなかった。
Fくんは本当に『開かずのトイレ』で消えてしまったのだ。

しばらくして、Fくんのお父さんとお母さんがやってきて、子供達は家に帰らされた。帰る間際、Nくんは、パトカーが駆けつけてくるのを目撃した。

その日、Nくんはなかなか眠ることができず、おかしな夢を見た。
何もない真っ暗な空間にFくんがいて、Fくんは必死で出口を探すのだけど、どこまでいってもただ黒い空間が続いているだけ。
そんな夢だった。

次の日は土曜日で学校は休みだった。
昨日あの後、どうなったのか確かめに行きたかったけど、恐ろしい事実を知りたくない気持ちもあってNくんは葛藤した。
でも、結局、Nくんは、勇気を出して公園に向かうことにした。

公園に到着すると、サッカーをしている子が何人かいた。
昨日のことが嘘のように日常を取り戻している。
その時、Nくんは目を疑った。
サッカーをしている子供の中に、Fくんの姿があったのだ。
Nくんは、Fくんに駆け寄った。
「大丈夫だったの?」
「大丈夫って、何が」
「だって昨日・・・」
そこまで言って、Nくんは言葉を切った。
きっとあの後、Fくんはどこかに隠れているのを発見されたのだろう。
大人も巻き込んで大騒ぎになり、恥ずかしい思いをしたに違いない。
触れない方がいいかなと思った。
Nくんもサッカーに加わり、ボールを追いかけ回した。

夕暮れになって、三々五々、子供達が帰り始めると、Nくんもそろそろ帰ろうと思った。
けど、みんなが帰り支度を始める中、Fくんだけがサッカーボールを蹴り続けていた。
「Fくん、まだ帰らないの?」
「うん、もうちょっと続ける」
いつもはFくんもみんなと一緒に帰るのに、その日は違った。
Nくんは一度途中まで帰りかけたけど、やっぱりFくんのことが気になって公園に引き返した。

Fくんは、夕闇の公園でまだサッカーボールを蹴っていた。
声をかけようとした時、驚くべきことが起きた。
Fくんはおもむろにサッカーボールを手で掴むと、一直線に男子トイレの中に入っていった。
昨日の今日でどうして『開かずのトイレ』がある男子トイレに入るつもりになったのか、Fくんが何を考えているのかわからず、気になったNくんはFくんの後についてトイレに足を向けた。
入口からソッと奥をうかがう。
そして、Nくんは、信じられない光景を目撃してしまった。
Fくんが、『開かずのトイレ』の個室によじ上り、中に入っていったのだ。
しばらく待ったが、一向にFくんが出てくる気配はない。
Nくんは恐ろしくなって、その場を逃げ出した。

その晩も、Nくんは、夢を見た。
Fくんが真っ暗な空間から出られなくなっている夢だ。
夢の中でFくんは何かを必死に叫んでいるけど声は聞こえなかった。

翌日の日曜日も、Fくんは公園に現れた。
みんなと鬼ごっこをするFくんはいつもと変わらずに見えた。
けど、Nくんは、Fくんが怖くて仕方なかった。
・・・本当にアレはFくんなのだろうか。
あの日、『開かずのトイレ』に入ったFくんは異世界に迷い込んでしまい、そのかわりに異世界からもう1人のFくんが帰ってきたのではないか。
Nくんには、そんな気がしてならなかった。
妄想に違いないとはわかっているけど、夢の暗示のこともある。
夢に出てきた、真っ暗な世界に閉じ込められたFくん。
あれは、異世界に迷い込んで助けを求めている本物のFくんなのではないか。
鬼ごっこが終わり、隠れんぼが始まった。
鬼が数を数え始めている。
Nくんは慌てて隠れ場所を探したけど、本心では家に帰りたくて仕方なかった。
すると、向こうの木の陰からFくんが手招きしているのが見えた。
行ってはいけない、行きたくない。
そう思うのに、足はFくんの方に向かっていた。
「Nくん、誰にも見つからない場所、教えてあげようか」
NくんはコクリとうなずきFくんの後についていく。
Fくんは公園に植えられた樹木の間をスルスルと縫って歩いていき辿り着いた先は男子トイレだった。
そこで、Nくんはハッと我に返った。
Fくんがトイレの中から手招きする。
行ったらダメだ、行ったらダメだ。
そう思うのに、『開かずのトイレ』の中がどうなっているのか見たいという強烈な誘惑がNくんを惑わす。
行ったらダメだ、行ったらもう戻ってこられない。
Nくんは足を踏ん張って必死に誘惑に抵抗した。
その時、Fくんの表情がサッと変わった。
「やっぱり・・・キミは気づいたみたいだね」
そう言ったFくんの顔が歪んだように見えた。
目が釣り上がり、口が裂けるんじゃないかというくらい横に大きく開いて不気味に笑っている。
Nくんは叫び声をあげて逃げた。
隠れていた子供達が姿を現し、不思議そうに見つめていたが、なりふりかまわず家まで走った。

それきりNくんは、自分の部屋に引きこもり出ようとしなかった。
どんなにお父さんお母さんに心配されても学校にもいかなかった。
Fくんは変わらず夢の中に現れた。
真っ黒い空間で何かを叫んでいるが声は一向に聞こえない。
数週間ほどすると夢に変化が現れた。
Fくんとは別の男の子も夢に現れるようになったのだ。
公園でよく遊んでいた同級生だった。
数日すると、また別の子が夢に現れた。
3人とも真っ暗な空間で何か叫んでいるが内容は聞き取れない。
日が経つにつれ、夢に現れる子が1人また1人と増えて、やがて、ひとクラス分くらいの人数になった。
みんな異世界に連れていかれてしまったんだ、、、
Nくんはそう確信した。
なぜNくんが異世界の様子を夢に見るのかはわからないけど、間違いないと思った。

ある日、クラスメイトがNくんをお見舞いにやってきた。
けど、お見舞いに訪れたのはFくんをはじめ夢に出てくる子ばかりだった。
Nくんは、どんなに呼びかけられても部屋を一歩も出ず、より頑なに引きこもるようになった。
担任の先生が心配してNくんの自宅にやってきた。
けど、その夜には担任の先生も夢の中に現れた。

・・・やがて数年の月日が経った。
Nくんは相変わらず真っ暗な空間の夢を見続けていた。
夢の中に現れる人の数は、今では、数千人を超えている。
Nくんは、千人を超えたあたりで、だいぶ前に数えるのをやめた。

最近は夢を見ても何も感じなくなってきた。
むしろ、異世界に連れこまれるのに怯えながら部屋にこもっている生活より、夢に見る異世界の方がよほど居心地がいいのではないかとさえ思えてきた。
どんなに家に帰りたくて心細くてもみんながいる。
また以前のようにみんなと一緒に遊びたい。
一人は嫌だ。
Nくんの心は限界に達していた。

そして、とうとうNくんは、ある日の真夜中に、自分の部屋を出て、
その足で、公園の男子トイレに向かったのだった・・・。

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