主人が亡くなって1年。
残された私と息子は、住み慣れた我が家を手放し、1DKの古いアパートに引っ越しました。
中学生になる息子は本当は嫌だったろうに、
そんな顔ひとつみせず引っ越しを手伝ってくれました。
引っ越して数日が経ち、荷物の整理もひと段落ついた頃です。
夕飯の仕度をしていると、電話が鳴りました。
無言電話でした。
聞こえてくるのはサーッという機械音だけ。
「どなたですか?」
何度呼びかけてみても反応がありません。
しばらくして、電話は切れました。
無言電話はたびたび続きました。
「いい加減にしてください!」
ある時、堪忍袋の緒が切れた私は誰ともわからない相手に怒鳴りました。
すると、はじめて電話口から声らしきものが聞こえました。
「・・し・・よ」
「なんですか?誰なんですか?」
「・・して・れよ」
「だから、
「出してくれよ」
私は飛び上がりそうなほど驚き、受話器を床に落としてしまいました。
私が驚いたのは内容ではなく、その声の主にでした。
間違いなく死んだはずの主人の声だったのです。
受話器を拾い上げた時には、
電話は切れていました。
それからも、しばしば主人からの電話が架かってきました。
「あなた、何か言いたいことがあるの?」
「出してくれよ」
何をたずねても主人が言うのはその一言だけでした。
「出してくれよ」何か主人が私に伝えたいことがあるのではないか、そんな気がしてなりませんでした。
けど、亡くなった主人から電話が来ているなど、誰かに相談できるわけもなく、一人で抱えて悩む日々が続きました。
誰かに言おうものなら、たちまち神経科の受診を勧められたことでしょう。
そんなある日のことです。
物置の整理をしていたら、ダンボールの中から、
小箱が出てきました。
もう15年以上前、結婚1周年で主人が買ってくれたパールの指輪でした。
私はハッとしました。
もしかしたら、主人はこの指輪のことを「出してくれ」と言っていたのではないかと思ったのです。
左手の薬指にはめてみるとぴったりはまりました。
幸せだった頃の遠い思い出が蘇り思わず涙がこぼれてきました。
その時、息子がちょうどやってきて、私の涙を見て慰めるように言いました。
「お母さん、きっと大丈夫だよ。お父さんは見つかるから。きっと無事だから」
私は首を振りました。
「お父さんはね、もう帰らないのよ」
主人からの電話は今も続いています・・・。
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