【怖い話】不幸を愛する女

A子ちゃんは昔から変わった子だった。

私はA子ちゃんと家が近所で同級生。
いわゆる幼馴染みだった。
友達というほど親しくもなく、知り合いというほど遠くもなく、たまに一緒に遊んだりする程度の、そんな関係だった。

中学2年の時のことだ。
私達が通う公立中学には、学校中から恐れられている女子のグループがあった。
全員暴走族に入っているという噂で、恐喝や暴力が日常茶飯事。
先生もお手上げ状態で、よほどのことがない限り、関わらないようにしていた。
その女子グループのリーダーというのが、冗談みたいな話だが、プロレスラーのような体格でゴリラのような顔をした女の先輩で、陰でジャイアンというあだ名で呼ばれていた。
ある日、A子ちゃんは、そのジャイアン先輩と廊下ですれ違いざま、「ゴリラそっくり」とつぶやいた。
当然、激昂した先輩は、A子ちゃんに殴る蹴るの暴行を加えた。
先生が止めに入るまで暴力は続き、ぐったり倒れたA子ちゃんの顔はパンパンに腫れて血だらけだった。
「A子ちゃん。大丈夫!?」
偶然、居合わせた私が駆け寄ると、A子ちゃんは口角を上げて嬉しそうにニヤッと笑みを浮かべた。
嘘なんかじゃなく、こんな酷い目にあって、A子ちゃんは恍惚とした表情を浮かべていたのだ。

A子ちゃんは、肋骨を数本折る重傷で、入院をよぎなくされた。
私がお見舞いに訪れると、ベッド脇の棚の上に一枚の油絵があった。
A子ちゃんが描いたものだ。
病室から見た景色を描いた風景画だった。
「見て。また、すごくよく描けたよ」
A子ちゃんは嬉しそうに私に絵を見せてきた。

A子ちゃんの夢は画家になることだった。
幼稚園に上がった頃には、画用紙にクレヨンで絵を描きながら、すでにそんなことを言っていた気がする。
A子ちゃんは、一度、絵を描き始めると、周りの声が聞こえなくなるほど没頭する。
寝食を忘れて絵を描き続けるので、心配したA子ちゃんのお母さんは画材一式を捨てようとしたくらいだ。
小学校に上がると、A子ちゃんの絵に対する情熱は薄れるどころかさらに膨れ上がり、その頃から、口癖のように言い始めた。
「芸術家は、不幸じゃないといい作品が作れないのよ」
今思えば、A子ちゃんがそんなことを言い始めたのは、耳を自ら切り落とし最期には拳銃自殺をした画家の巨匠ゴッホの生涯を本で読んだあたりからだった気がする。
思うに、虐げられた悔しさや怒りをエネルギーに変えて作品を生むということと、不幸だからいい作品が描けるということが、A子ちゃんの中ではごっちゃになってしまったのだろう。
A子ちゃんは、小学校高学年になると、わざわざ橋の欄干にあがって片足歩きしてみたり、怒ると怖いと有名な先生に石を投げつけてみたり、自ら危険に飛び込むような真似を進んでし始めた。
そうして、怪我をしたり怒られたりして、溜まった鬱屈を絵に叩き込んだのだ。
実際、A子ちゃんは子供離れした鬼気迫るタッチの絵を描き上げ、いくつものコンクールで受賞を果たした。
それがさらにA子ちゃんの奇行に拍車をかけた。
自らを不幸な境遇に陥れ、絵に昇華する。
A子ちゃんは、不幸な目に遭うたび、本当に嬉しそうな顔で言った。
「これでまた絵が描ける」

高校進学とともにA子ちゃんとは学校が離れ離れになったが、たまに家の近所で見かけると、身体はいつも生傷がたえなかった。
「また絵を見に来てね」
そう言われたが、私は一度も約束を守らなかった。
A子ちゃんと関わり続けたら、狂気の世界へ連れていかれてしまうような気がしたのだ。

A子ちゃんが家出をしたという話を母から聞いたのは高校3年の春だった。
あまりタチの良くない男に引っかかって、その男と一緒に駆け落ち同然で姿をくらませたのだという。
母はA子ちゃんの身を案じていたが、私にはわかっていた。
全て絵を描くために違いないと。
悪い男の元に自ら飛び込み、不遇の中で創作を続けるつもりなのだ。
不幸な目に遭いながら恍惚とした表情を浮かべるA子ちゃんの姿が目に浮かび、私は身震いをした。

高校を卒業すると、私は東京の大学に進学した。
目標や夢があったわけではない。
周りのみんなが進学するからただそれに倣っただけだ。
サークルやバイトに明け暮れ、それなりに忙しかったが、心はいつも虚しかった。
そういう時、なぜか必ず、A子ちゃんのことを思い出した。
絵画だけに情熱を注ぎ、例え身を滅ぼそうと迷うことなく突き進めるあのエネルギーが、少し眩しかったのかもしれない。
無為のうちに大学生活の貴重な時間はあっという間に過ぎていき、3年になって就職活動に明け暮れるようになると、余計にそんなむなしい考えに取り憑かれるようになった。

驚くべき再会があったのは、就職面接を終えて帰った雨の日のことだった。
重く垂れ込めた雨雲のせいで日中にも関わらず辺りが暗かったのを覚えている。
大粒の雨の中、傘を差してアパートまでの帰り道を歩いていると、向こうから傘も差さずに裸足で歩いてくる女性の姿があった。
髪はずぶ濡れで顔と首に張りつき、着ている物も薄いワンピースだけ。
ギョッとして目を疑った。
一瞬お化けを見たのかと思ったくらい、その女性は異様だった。
足が凍ったように動かなくなり、こちらに向かってくる女性から視線を外せなくなった。
それが、A子ちゃんだと気づいたのは、まさに私の横を通り過ぎる時だった。
「・・・A子ちゃん?」
私が声をかけると、A子ちゃんは私の方を向いて微笑みを浮かべ、膝から崩れ落ちた。
息が荒く、すごい熱だった。
私は、A子ちゃんに肩を貸し、私の自宅アパートまで連れていった。

濡れた服を着替えさせた後、布団にくるめて解熱剤を飲ませた。
薬が効いてくると、容体はだいぶ安定したように見えた。
A子ちゃんの見た目は変わっていなかったけど、髪はまるで手入れされていないし肌荒れもひどく、年齢以上に老けてみえた。
一体、どういう生活を送っているのだろうか。
聞くと、昨夜から一晩中、雨に打たれていたらしい。
「まだ絵を描いてるの?」
私が尋ねるとA子ちゃんは目を輝かせていった。
「もちろん」
その日の夜、A子ちゃんの体調が回復すると、私達はお互いの空白期間を埋めるように話をした。
といっても私にはたいした話などないので、ものの数十分で終わってしまった。
一方のA子ちゃんの話は予想通りの壮絶なものだった。
高校時代に知り合った男と駆け落ち同然で東京に出たが、男は、案の定、ろくでなしだった。
働きもせず一日中家でゴロゴロしており、お金がなくなると、A子ちゃんに夜の店で働くことを強要した。
あえて断ると、タバコの火を身体に押し付けられ、暴力を振るわれた。
A子ちゃんは、年齢をいつわりキャバクラで働き始めたが、店のNO.1の上客にわざと近づいて、そこでもイジメられるようになった。
家では奴隷のように扱われ、店ではモノのように軽んじられる生活の中、A子ちゃんは創作活動を続けた。
「いっぱい、いい絵が描けたんだよ」
A子ちゃんは、無邪気な子供のように笑って話した。
そんな生活を数年続けたが、男が新しい女を見つけて状況が変わった。
A子ちゃんは、荷物も取らせてもらえず、家を追い出された。
それ自体はA子ちゃんからしたら、さらに不幸に追い込まれる喜ばしいことなのだが、今まで描いた絵や画材まで荷物と一緒に取られてしまったので困っているという。
行くあてもなく街をさまよっていたら、偶然、私と再会したというわけだ。
「いかなくちゃ」
話を終えると、A子ちゃんは、布団から抜けて立ち上がった。
「行くってどこに?」
まだふらつく足取りでキッチンに行くと、A子ちゃんは包丁を手に取った。
「これ借りるね」
「ちょっと!何考えてるの」
「あいつを殺して、捨てられる前に絵を取り戻さないと。それに、クズ男を殺して刑務所に入るなんて、そんな不幸なことないでしょ?」
A子ちゃんは、そう言って、クツクツと笑った。
狂っている・・・。
そう思ったけど、黙って行かせるわけにはいかなかった。
このまま行かせてしまっては、A子ちゃんのお母さんにも申し訳が立たない。
「ダメだよ。絵は私が取り戻してあげるから、A子ちゃんはここにいて」
必死でなんとか説得して、その男のもとには私が交渉に行くことになった。

男は、想像通りの人物だった。
澱んだ暗い目つきをしていて、小動物のように落ち着きがない。
けど、A子ちゃんの親類だと名乗ると、あっさりと絵を引き渡してくれた。
「もう、あんな女と関わりたくない」
怯えたように言い捨てたのが印象的だった。
聞くつもりはなかったが、彼もまたこの数年間、A子ちゃんの恐ろしさを味わっていたのかもしれないと思った。

絵を取り返すと、A子ちゃんはとてもご機嫌になった。
私は、A子ちゃんのお母さんに連絡を取ってもらうため、母に連絡を入れた。
ところが、しばらく待って、A子ちゃんのお母さんから返ってきた返事に絶句した。
『A子のことは放っておくつもりですので、A子からの連絡は不要です』
さすがに母も私も困惑した。
A子ちゃんのお母さんは、A子ちゃんを見捨てるつもりなのだろう。
「あんた、しばらく一緒にいて面倒みてあげなさいよ。幼馴染みでしょう?」
母の身勝手な提案に腹が立ってしょうがなかった。
けど、追い出すわけにもいかず、なし崩し的に私はA子ちゃんと私の部屋で暮らすことになった。

しばらくは、A子ちゃんの精神状態も落ち着いていてよかった。
同居人がいるこんな暮らしも悪くないかなと思いかけたりもした。
けど、やはり、A子ちゃんは昔と変わらずA子ちゃんだった。
日に日に「新しい絵が描けないの」と言って、落ち着きをなくし情緒不安定になり始めた。
どうも私との生活ではストレスが少な過ぎて、創作が進まないらしい。
私は私で就活がうまくいっておらず、そんなA子ちゃんの面倒を見るのが余計に辛かった。
どうしてA子ちゃんの世話を私が押しつけられなければならないのか、全く納得いかなかった。
いつ爆発してもおかしくない不穏な空気が私とA子ちゃんの間に漂い始めた。
そんなある日のことだった。
その日は、比較的、A子ちゃんのメンタルが落ち着いていたので2人で公園に絵を描きにいった。
はじめは筆が進んでいたもののA子ちゃんは途中で投げ出してどこかに行ってしまった。
私はこの先、A子ちゃんを抱えてどうすればいいのか途方に暮れていた。
「この絵はあなたが描いたものですか?」
突然声をかけられびっくりした。
髭を生やした銀髪のおじさんがA子ちゃんの描きかけの絵を熱心に眺めていた。
「いえ、それは・・・」
「完成したら、是非見せてください」
そう言って銀髪の男性は名刺を差し出して、去っていった。
名前と連絡先があるだけのシンプルな名刺だった。
スマホで名前を調べてみると、現代画家の有名な人だとわかった。
その瞬間、私の中に、天啓が降ってきた。
全ての問題を解決するアイディア。
そうだ、きっとこの方法なら、、、

「今日は、個展の打ち合わせで遅くなるから」
メイクをしながら鏡の奥に写った扉の向こうに私は呼び掛けた。
返事はない。
私はイライラして立ち上がり、扉を開け放った。
「ちょっと聞いてるの?」
薄暗い部屋の中、チャリチャリと鎖を引きずる金属音がする。
「起きてるなら返事しなさいよ」
足を鎖で繋がれたA子ちゃんが、のっそりと上半身を起こした。
「まだ半分もできていないじゃない。個展まで時間がないんだから、今日中に仕上げるのよ」
私はA子ちゃんの髪を鷲掴みにして、乱暴にキャンパスの前の椅子に座らせた。
A子ちゃんは、骨と皮のように痩せ細った腕をロボットのように機械的に動かして筆を取り、黙って作業を再開した。
「今日中に仕上げれなかったら、またご飯抜きだから。あ、そうだ。また、絵が売れたのよ。今度は軽井沢あたりに別荘でも買おうかと思ってるの。全部、A子のおかげ。ねえ、どんな気分?富も名声も奪われて、幼馴染みに監禁されながら絵を描かされ続けるのは」
私が言い捨てると、A子ちゃんは筆を激しく動かしながら、恍惚とした表情で微笑みを浮かべた・・・。

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