第97話「豹変」

「おはよう。気をつけてね」
「おはようございます」
私は、まだ夜が明けきらないうちに出社する。
マンション前で、散らかったゴミを清掃する滝澤さんと挨拶を交わすのが日課だ。
滝澤さんは私のお隣さん。ダンナさんに先立たれて一人暮らしをしている。
誰に頼まれるわけでもなくマンションの周りを清掃している。
滝澤さんとの挨拶は、仕事に追われた生活をする私にとっての、数少ない癒しだった。

ところが、ある日を境に、滝澤さんの様子が変わってしまった。
私が挨拶をしても無視されるようになった。
黙々と背中を向けて清掃を続けている。
耳が遠くなってしまったのかなと思い、近寄って何度か呼びかけてみた。
「・・・おはようございます」
滝澤さんは、振り返ると、ジロリと私を睨みつけてきた。
いつもの柔和な様子からは想像もできない恐ろしい顔つきだった。

どうしてそうなってしまったのか・・・。
私が何か失礼なことをしてしまったのだろうかと何度も考えた。
だけど、何も思い浮かばない。
もしかして滝澤さんはアルツハイマーなのではないか。
そんな気もしたが、本人に言えるわけもなく、どうすることもできない日々が続いた。

事態は悪化した。
私が近くを通ると、滝澤さんは駆け寄ってきて、「出てけ!」と罵るようになった。
それも毎日だ。
私の神経が壊れるのも時間の問題だった。

私は引っ越しを余儀なくされた。
だけど、不思議と滝澤さんを恨む気持ちにはなれなかった。
私にあるのは、優しかった頃の滝澤さんに戻って欲しいという気持ちだけだった。

1駅離れたマンションに引っ越して数日後。
朝のニュースを見て私は言葉を失った。
以前住んでいたマンションがテレビに出ている。
一人暮らしの女性の腐乱死体を発見。
それは滝澤さんの死を知らせるニュースだった。
私の頭は疑問でいっぱいだった。
ニュースによれば、滝澤さんの遺体は死後1ヶ月ほど経っていたらしい。
だけど、私はほんの数日前まで滝澤さんに会っている。
私が会っていた滝澤さんは、幽霊だったとでもいうのだろうか。
瀧澤さんが豹変してしまったのもちょうど1ヶ月前くらいだった。

アナウンサーがニュースの続きを読み上げる。
「警察は、女性を殺害した容疑で同じマンションに住む無職の男性を逮捕しました。男性は強盗目的だったと殺害を認める供述をしています・・・」
・・・それを聞いて私は滝澤さんの豹変に合点がいった。
滝澤さんは私に警告してくれていたのだ。このマンションから早く出ていけと・・・。

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