第96話「待つ人」

カフェでアルバイトを始めて3ヶ月。だいぶ仕事にも慣れてきた。
最近、気になるお客さんがいる。
彼は、毎日決まって午後8時に店にやってきて9時くらいに帰っていく。
30代くらいの男性で、いつもピシッとしたスーツを着ている。
清潔感があって、いかにも仕事ができそうなタイプに見える。
仕事帰りだろうに髪もきちんと整えられている。
注文は常にブレンドコーヒー。座るのはいつも窓際だ。
スマホをいじったり新聞を読んだりするわけでもなく、表通りをじっと見て過ごす。
まるで誰かが通るのを待っているみたいに・・・。

もちろん今日も彼はやってきた。
「ブレンド・・・」
渋い声で注文を告げる。彼は私の方を見ない。私も、極力、目を合わせない。
彼がいつもの席に座るのを見届けると、同僚が駆け寄ってきた。
「また来てるね」と、どこか含んだように言われる。
どうも私が彼に惚れているのだと勘違いされている。
いや、勘違いじゃないのかもしれない・・・。
自分でもよくわからないけど、彼のことが気になっているのは確かだ。

手が空くと彼の背中を見つめている自分がいる。
表通りの人波をじっと見つめて、彼は一体何を考えているのだろうか。
もうすぐ9時になる。そろそろ彼は帰る準備を始めるだろう。
・・・ところが、今日は違った。
彼が、突然、バッと立ち上がったのだ。
ちょうど表通りを白いコートを着た女性が通りかかった時だった。
華やかで大輪の百合のような女性だった。
彼は、女性の後を追うように慌てて店を出て行った。

やはり、待ち人がいたのだ・・・。
どういう事情かはわからないが、彼女が表を通るのをこの店でずっと待っていたのだろう。
別に告白してフラれたわけでもないのに、心に小さな棘が刺さったような気分だった。

ところが、翌日の朝、テレビを見て私は唖然とした。
巷に溢れている殺人事件のニュース。発生場所が近所でなければ見逃していただろう。
その被害者の女性の顔は、昨日、彼が追っていった彼女に違いなかった・・・。
自宅前の路上で鋭利な刃物により滅多刺しにされ死亡。
アナウンサーの読み上げる言葉が一つ一つ、私の脳をハンマーで叩いた。
・・・まさか、まさか。

その日から、彼は店に現れなくなった。毎日欠かさず来ていて人が突然、ぱったりと。
犯人は彼に間違いない。私は確信を持った。
事件から2週間。犯人逮捕の続報はいまだに流れていない。
警察に通報するべきか否か、私は迷った。
被害者には悪いが、正直、余計なことには関わりたくない。
もしも私が通報したことに彼が気づいたら・・・。
万に一つもない可能性に私はビクビクしていた。
生来の小心者気質がこんな時にも顔を出す。

だけど、最後は被害者の無念を思う気持ちが勝った。
私は震える手で110番通報をした。事情を話すと担当地域の刑事課に電話を回された。
担当の刑事さんは、緊張して支離滅裂な私の話を辛抱強く聞いてくれた。
「詳しい事情を聞きたいので、自宅へおうかがいしてもよろしいですか?」
「・・・はい」
住所を告げ、翌日、刑事さんが私の家に来ることになった。
「ありがとうございます」
電話の最期に意外な言葉を言われて、私はキョトンとした。
「電話をするのは大変な勇気がいったでしょう」
その言葉に、涙がボロボロとこぼれてきた。
私の心のストレスをわかってくれている人がいた。
刑事さんの優しさに、こらえていた気持ちのダムが決壊してしまった。

その翌日。約束の時間に玄関のチャイムが鳴った。
「昨日お電話させていただいたxx署のものです」
「お待ちください」
玄関のドアを開け、私は絶句した・・・。
見慣れた清潔そうなスーツ。整えられた髪。
そこに立っていたのは、彼だった・・・。
彼の穏やかな微笑みを見て、私はとんでもないあやまちを犯したことに気がついた。

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