第14話「母の日」

2016/08/31

私が中学2年生の時、母が交通事故にあった。

その頃、私は反抗期真っ最中で、母とは毎日、喧嘩ばかり。
私が悪いのはわかっていたが、どうしても謝ることができなかった。
そこで、私は「母の日」に、カーネーションに「ありがとう」のメッセージカードを添えてプレゼントしようと思い立った。
そのまさに「母の日」に、母は前方不注意の車に撥ねられたのだった。

母は生死の境をさ迷い、2分間心肺停止状態となったが、なんとか一命を取りとめた。
しかし、頭を強く打っていたので、3日経っても意識は戻らなかった。
主治医の先生の話では、このまま植物状態になる可能性もあり、意識を取り戻しても脳の後遺症が残る危険性があるという。
母に渡せなかったカーネーションは、病室の花瓶に飾ったが、母が意識を取り戻す前に、あっという間に枯れてしまった。
このまま母が目を覚まさなかったら、感謝も謝罪もできないままお別れになってしまうのか。罪の意識が私の背中に重くのしかかった。

事故以来、毎日、学校が終わると病院に寄るのが私の日課になった。
今日こそは母の意識が回復しているであろうと日々祈っていたが、私の想いは届かなかった。

変化が起きたのは事故から2週間後のこと。
私が病室で、眠ったままの母に、今日学校で起きたことを話して聞かせていると、突然、母の目がカッと見開いたのだ。
「お母さん!」呼びかけてみたが、目を見開く以外に反応はない。私は慌てて先生と看護師さんを呼びに走った。
しかし、戻ってみると、母の目は再び閉じていた。
主治医の先生が調べてくれたが、母の意識は回復していないという。
おそらく、身体の反射だろうということだった。私は、がっかりしたが、小さな希望も感じた。

父にそのことを話したが、たいして嬉しそうじゃなかった。
父は、目を覚まさない母の存在を、だんだんと鬱陶しく思い始めているのに私は気づいていた。
私は、そんな父が許せなくて、きつい言葉を浴びせるようになった。
父は私を避けるようになった。気分はどん底だった。

だが、奇跡は私を見放さなかった。
ついに、母の意識が回復したのだ。
会話はできず、何を聞いても「あー」とか「うー」とかしか言ってくれないが、目を覚ましてくれた。
精密検査の結果も良好で脳に後遺症はないという。
しばらくすれば喋れるようになるだろうと主治医の先生は言ってくれた。
これで、全てはよくなるはず。その時の私は、そう信じて疑っていなかった。

意識を取り戻した2日後、両足を複雑骨折していた母を車椅子に乗せて病院の庭を散歩していた時のことだ。
「ちょっと飲み物買ってくるね」私は母の車椅子をしっかりと固定して、自動販売機に走った。
すると、ピギャ!という奇妙な音が車椅子の方から聞こえた。
母に何かあったのかと思って、慌てて戻ったが幸い母には何も起きていなかった。
しかし、よく見ると、車椅子の目の前で、小鳥が血を吐いて身体を痙攣させていた。まるで、強い力で握。
一体何が起きたのか、わけがわからなかった。
「・・・お母さんがやったの?」できっこないことはわかっていながら、私は、なぜかそう尋ねていた。
すると、母は、まだ生気の戻っていない顔に薄っすらと笑みを浮かべたのだった。
正直、母が不気味で仕方なかった。しかし、事故の影響なのだろうと私は無理に自分に言い聞かせることにした。

その翌日。学校の友達が一緒に母を見舞ってくれることになった。
友達を連れて、母の病室に入ると、ふいに、友達が入り口で足を止めた。
「どうしたの?」
友達はじっと母の方を見つめている。
そして、何も言わずに回れ右をして帰ってしまった。
私は慌てて友達を追った。
「・・・どうしたの!?」
息を整えながら私は友達に尋ねた。
「ごめんね」友達は私に謝った。
その友達には昔から霊感があった。もしやと思って私は聞いた。
「・・・病室で何か見えたの?」
「・・・気をつけて。あれは、もう、知紗のお母さんじゃない」
友達には、母のベッドの周りに、どす黒い瘴気のようなものが視えていたのだという。
おそらく、母の魂の代わりに悪霊が入り込んでしまったのではないかと友達は言った。
帰り際、友達は、霊媒師の人に相談した方がいいと真剣な眼差しでアドバイスしてくれた。

私は、病院のベンチで、友達の助言に従うか迷っていた。
確かに母は何かがおかしい。
たが、それが事故の影響ではないとどうして言えるのか。
友達には悪いが、悪霊の類を信じるよりは、まずは後遺症の可能性を疑った方がよっぽど現実的な気がした。
それに、もしも、友達の話を信じるならば、母はすでに死んでいることになる。
私には、どうしても、それが受け入れられなかった。

気がつくと辺りは真っ暗になっていた。
時計を確認すると、とっくに面会時間は過ぎていたが、私は母の顔を見てから帰ろうと病室に立ち寄ることにした。
った私わず目を疑った。
ベッドに母の姿がなかった。
車椅子が残っているから、誰かが母を散歩に連れ出したわけでもなさそうだ。
母に何かあったのか?
私は、廊下に飛び出した。
すると、廊下の向こうを、母らしき人が横切るのが一瞬、見えた。
しかし、母は両足を複雑骨折していて自力で歩けるはずなどないのだ。
不安と恐怖でパニックになった。だが、母を放ってはおけない。
「お母さん!」私は、母が向かった先へ走った。
角を曲がると、非常階段の扉が開いているのが見えた。
扉を抜けたが、母の姿は見えなかった。
上へあがっていったのか、下へいったのか。
私が迷っていると、背後で非常扉がキィィィィという音を立てて閉まりはじめた。
扉の死角に入院服姿の母が立っていた。
だが、それは母ではなかった。
急に腕が伸びてきて、私は、突き飛ばされ、階段を転げ落ちた。
踊り場で止まったが、頭から出血しているのがわかった。

階段の上に、かつて母だった人が立っている。
そしつは黒目をグルグルと回転させ、舌を突き出して笑っている。
そいつが階段を一歩一歩降りてくる。
私はその場から一歩も動けなかった。
身も心も絶望に絡め取られてしまった。
涙が止まらなかった。
そいつは笑いながら、私の上に覆いかぶさってくると、首を絞め上げた。
母の皮をかぶった化け物の顔が目の前にあった。
薄れゆく意識の中、遠い母の面影が私の脳裏をよぎった。
「・・・ごめんね、お母さん」
突然、首を絞める力が弱くなった。
見ると、化け物の目から一筋の涙がこぼれていた。
そして、化け物は急に身を翻すと、非常階段の手すりを乗り越え、身を投げた。
私が覚えているのは、そこまでだった。

母の死は不慮の事故ということで処理された。
病院の先生や看護師さんも錯乱している母の姿を目撃していたため、私が変な疑いをかけられることはなかった。
最後に母はようやく自分の魂を取り戻し、身を呈して私を守ってくれたのだろう。
私は、そう考えるようにしている。

今でも、「母の日」には欠かさずカーネーションを母の墓前に供えている。

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