第130話「厚木の廃病院」

神奈川県厚木市に廃墟となった病院がある。
これは、その廃病院で体験した怖い話だ。

廃病院は、本厚木駅から車で20分程度の幹線道路沿いにあり、だだっ広い駐車場の奥に10階くらいの大きな病棟が建っている。
ちょっとした胆試しのスポットとなっていて、深夜になると病棟の中を進む懐中電灯の明かりをよく見かける。建物の中は荒れていて、若い子達が描いた落書きやスプレーでいっぱいだった。

私は病院の近くに住んでいて、毎日のように前を通りかかっていた。
お化けや怖い話が大嫌いな私にとっては無縁の場所のはずだった。
飼っていた犬が散歩中に逃げ出して、病院の中に入ってしまうまでは・・・。

正直言うと、犬は探しに行かなくてもいずれは家にひょっこり戻ってくると思った。けど、怪我をしたり、道路に飛び出して車にひかれたりしないか心配で、結局は懐中電灯を手に探しに戻った。

病棟の中はひんやりとしていた。
夏だというのに、氷点下のような寒さに感じられた。
そこら中に書類やゴミが散乱していた。病院時代に使われていたであろう、キャビネットやデスクは倒れて壊れているものがほとんどだった。

ワン!・・・ワン!・・・

犬の鳴き声がした。耳を済ませた。

ワン!

下の方から聞こえた気がした。
地下・・・?
長い廊下を鳴き声がする方に歩いていくと階段があった。
地下に下る階段から鳴き声は聞こえていた。
下りたくはなかったけど、行くしかない。
一段ずつ階段を下っていった。
自分の足音が建物中に響いているような気がした。
ちょうど、折り返しの踊り場に差し掛かった時、懐中電灯の光が目の前に立つ人影をとらえた。
鏡に映し出された自分だった。
びっくりして心臓が縮んだ。
自分だとわかっていても怖かった。
完全に雰囲気に呑まれていた。

地下には長い廊下がのびていた。
懐中電灯で廊下の先を照らす。
ワン!ワン!
廊下の先に向かって鳴いている犬がいた。
「帰るよ!」
私は精一杯の大きさのささやき声で犬に呼びかけた。誰に聞かれる心配があるというのか自分でもまったくわからないが、大きな声を出してはいけないような気がした。その時すでに、異質な存在をどこかで察知していたのかもしれない。

いくら呼んでも犬は廊下の向こうに吠えるばかりだった。もう力づくで連れ帰るしかない。私は足を忍ばせて犬に近づいていった。
そして、背後から捕まえようと、腕を広げた時だった。
キャンッ!とおかしな鳴き声を上げて、犬が急に逃げ出してしまった。
まるで、なにかに怯えたように。
犬が吠えていた方に懐中電灯の光を向けた。
先は行き止まりになっていて、白い壁があるだけだった。
いや、違う。観音開きの扉があった。

きいぃぃぃ

きしんだ音を立てて扉が開き始めた。
・・・まるで何かが中から出ようとしているように。
身体中がゾワゾワとした。早くこの場から離れろと全身が警告を発していた。
私はクルッと振り返って、階段に向かって走った。
振り返らなかった。後ろを見たらダメだと思った。
全速力で階段を上がった。
一階に上がり、入口に向かって走った。
正面玄関のドアが見えた。
身体ごとぶつかって外に出た・・・つもりだった。
けど、最後の一歩が出ない。
ポニーテールにした後ろ髪を誰かがつかんでいた。ものすごい力で病棟内に私を引き戻そうとする。
「離して!」
私は懐中電灯を無茶苦茶に振り回し、身をよじった。
すると、突然、解放され地面に倒れた。
振り返った時、病院服を着た何者かの影がスーッと闇の中に消えていくのが見えた。
・・・いったい今のは何だったのか。
そして、もし逃げれなかったらどうなっていたのか、想像すると身がすくんだ。

家に帰ると、玄関前で犬が尻尾を振って待っていた。
・・・こいつ。
憎まれ口を叩きたかったけれど、無事に帰れたことの安堵感の方が強かった。
身体中、汗と埃で汚れていた。シャワーを浴びよう。そう思って家の中に入ろうとすると・・・。
グルルル・・・犬がふいに唸り始めた。
私の背後に向かって・・・。

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