【怖い話】持ち込み小説

これは出版社で編集者をしているBさんが体験した怖い話。

昔から物書きの登竜門として"持ち込み"という方法がある。
直接、出版社に作品を持ち込んだり送ったりして売り込むことで、今でこそ数は減ったものの、持ち込み作品からキラリと光る新人作家が生まれたりもする。
Bさんのもとにも日々いくつもの作品が持ち込まれてくる。
編集者の中には持ち込み作品には目もくれない人もいるが、Bさんは自身も若かりし頃、物書きを夢に見たこともあり、礼儀として持ち込み作品を一つずつ丁寧に読むのを習慣としていた。

ある日、Bさんのもとに一つの封筒が届けられた。
宛名はなかったが、中を見ると、今時珍しく、400字づめ原稿用紙に100枚ほどの手書きの持ち込み作品が入っていた。

時間ができた時、Bさんは、その原稿に目を通してみた。
原稿は、ある殺人犯の手記という体裁の小説だった。
割とエンタメ小説で多い人気のパターンだ。
犯人目線で描く場合は、犯行がバレるかバレないかという犯人と警察のスリリングな緊張感や犯人の動機にスポットを当てた作品であったり、叙述トリックであっと驚くラストが用意されていたりするものだが、この持ち込み原稿は日記のように淡々と犯人の記録が一人称で描かれていた。

Bさんは、読みはじめてすぐ、この小説はダメそうだなと思った。
てにをはも間違っているし、表現が稚拙で読みづらい。
なにより、殺人犯である『私』の内面描写が薄い。
感情移入できなければ、小説は面白くならない。
それでも、読み進めたのは、Bさんの物書きへの敬意だった。

しかし、殺人描写に入ると様子が一変した。
そういう描写に慣れているBさんでも眉をひそめるほどに、これでもかと細かい残酷描写が何ページにも渡って続く。
どんな凶器を選び、どういう工程で人体を切り刻んでいったか、そして、犯人が人を殺しながらどれほど興奮したかが、熱を込められて書かれている。
それまで心理描写がほとんどなく淡々と描かれていた分、余計に薄気味悪く毒々しい。
『私』の狂気をひしひしと感じた。
半分ほど読み進めると、無差別に3人の人間を殺害し遺体を処理するところまでいった。
Bさんは気づかないうちに、背筋に汗をかいていた。
もう読むのをやめようと思うのに、ページを繰る手は止まらなかった。
そして、次のページに進んだBさんは固まった。
原稿用紙の左下に赤黒い染みがついていた。
・・・これは、血痕?
Bさんは、ある可能性に気づき身震いした。
この原稿は本物の殺人犯の手記なのではないか。
描かれている作品は全て本当にあった事件で、これは犯人の告白なのではないか。
Bさんは、残りの原稿を一気に読み進めた。
原稿は、自分の犯行を世に知ってもらいたい『私』が、たまたまSNSで目にした文芸誌の編集者に自分の犯行記録を送るところで終わっていた。
・・・間違いない。
読み終えたBさんは確信した。
これは実際にあった出来事なのだ。

警察にすぐに相談しようかとも思ったが、自分の単なる勘違いかもしれないという気持ちも残っていた。
そこで、Bさんは、同じ出版社で週刊誌の編集を担当している同期のDさんに相談をした。
持ち込み原稿を読み終えたDさんは、Bさんと同じ感想を持った。
これは実在の殺人犯の告白本だろう、と。
「警察に届けるべきかな」
Bさんがそう言うと、Dさんは「まぁ、待て」と止めた。
「この手記が事実なら、まだ世に明らかにされていない事件だろう。これはとんでもない特ダネだぞ。みすみす警察に情報を渡す前にやることがある」
「そういうものか」
「この原稿はしばらくオレとお前の秘密にしてくれ、いいな」
文芸誌の編集と、日々他社と特ダネの熾烈な抜きあい合戦を繰り広げている週刊誌担当の考え方の差があらわれていた。
それに、握っている情報によって、週刊誌担当のパワーゲームが左右されるのをよく知っていたBさんは、Dさんの提案を飲むことにした。
ただ、原稿にも封筒にも宛名や連絡先が載っているわけではない。
Dさんは、どうやって調べるつもりなのか。
たずねると、
「ツテなら色々あるんでな」とDさんは不適に笑った。

それから数ヶ月が過ぎた。
Bさんは、おりをみてDさんに調査の進捗をたずねていたが、「もうちょっと待ってくれ」と言われるだけで、新しい情報はなかった。
ところが、ある日、突如として、その知らせは舞い込んだ。
Dさんが無断欠勤を続けていて、自宅にも帰っていないようだという。
もしかして、あの原稿と関わりがあるのではないか。Bさんの頭に浮かんだのは、もちろん、そのことだった。
Bさんは、すぐに警察署に向かった。
問題の原稿を読んでもらい、自分の考えを説明した。
犯人の手がかりを掴んだDさんはスクープのために単独で犯人と接触を試みようとして、なにか危険な目にあったのではないか、と。
ことがことだけに警察もすぐに動くと約束してくれた。

ところが、二週間が経っても、警察からは何も連絡がなかった。
Bさんは、自分から、担当の刑事に連絡を取ってみたが、「捜査中です」と紋切り型の返事がかえってくるだけだった。

もんもんと過ごすうち、再び原稿がBさんのもとに届けられた。
手書きの原稿用紙で50枚ほど。
筆跡を見て確信した。
例の殺人犯からの続きの原稿だった。
すぐに読みはじめたBさんは、その内容に戦慄を覚えた。

手記の中で殺人犯は、自分を探っている出版社の男を捕まえて、アジトに連れ去り殺害する。
その殺害方法があまりに生々しくて、自分も現場で見ているかのような錯覚をおこすほどだった。
Bさんは血の気が引くのを感じた。
人物描写からしても原稿で描かれている出版社の男はDさんに違いない。
原稿の最後は、殺人犯が遺体を山奥に遺棄して、再び原稿用紙に向かい自分の犯行記録を書き記すところで終わっていた。

Bさんは、その足で、警察に向かって原稿を提出した。捜査関係者は新しい物証に色めき立ったように見えた。
Bさんは一通り事情を聞かれると解放された。

翌日。
事件が報道されているかと思ったが、どのテレビ局もネットニュースもDさんの事件を報道していなかった。
まだ、情報を公開せずに捜査しているのかと思ったが、そうではなかった。
その翌朝、担当刑事から電話があった。
「あの原稿ですが、Dさんの筆跡であることがわかりました」
わけがわからなかった。
失踪したDさんの部屋で見つけた手書きのメモ類と筆跡鑑定を行ったところかなりの高い確率で原稿を書いた人物と同じであるという鑑定結果が出たのだという。
つまり、こういうことだ。
Dさんは、社内のスクープ競争に疲れ果て、架空の殺人犯を作り上げて、自らが失踪することで前代未聞の特ダネをでっちあげようとしたというのだ。
Dさんの部屋からは書きかけの小説原稿がいくつも出てきたらしい。
同期のBさんも知らなかったが、Dさんにも小説家になろうという野望があったようだ。

たしかに筋は通っている気もするが、肝心のDさんが発見されないことには、それが真実なのかはわかはないのではないかとBさんは思った。
第一、部屋のメモ書きや未完の小説が真犯人によって偽装されていたらどうするのだ。
Bさんは、担当刑事にそう伝えたが、警察はDさんの偽装を疑っていないようだった。

それから、事件の続報がBさんの耳に入ることはなかった。
おそらく警察は捜査を終了したのだろう。

Bさんのもとには、今も持ち込み原稿が頻繁に届くという。
しかし、Bさんは、二度と持ち込み原稿を読むことはなくなった。
殺人犯の手記の続編が送られてくるかもしれないと思うと、怖くて読めなくなってしまったのだという。
Bさんには、いまも真犯人がこの社会のどこかで殺人を重ねながら自らの犯行を原稿用紙に書き記している気がしてならなかった。

いまもDさんの行方はわかっていない・・・。

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