由比ヶ浜の怖い話

由比ヶ浜は、神奈川県鎌倉市南部の相模湾に面した海岸で、鎌倉駅からは徒歩で約15分、都心からもアクセスが良く、例年夏になると多くの観光客が訪れるビーチだ。

ところが、新型コロナウイルスの流行により今年は様相が違った。
海岸線沿いのほとんどの駐車場は閉鎖され、観光客が集まって密にならないようになっていた。
ビーチにやってくるのは地元のサーファーか、電車でやってくる若者たちばかり。
例年の夏とは比べ物にならない閑散とした様相だった。

しかし、地元民からしてみれば、人が来ない夏のビーチは嬉しくもある。
サーフィン好きがこうじて由比ヶ浜から自転車で10分のところに一軒家を建てたEさんも、人が少ない由比ヶ浜の恩恵を感じている1人だった。

朝起きると自転車にサーフボードを乗せて、由比ヶ浜に向かい、サーフィンをする。
今年はそれを毎日のルーティンにしている。
本当なら、朝から人でごった返す海岸で、好きなだけサーフィンの練習ができる。
Eさんのような人間にはありがたい話だった。

そんな、ある日のこと。
Eさんがいつもの場所でサーフボードに揺られながら波を待っていると、近くに別のサーファーがあらわれた。
見かけたことがないボードと佇まいだったので、知り合いではなさそうだった。
あまりジロジロ見るのも失礼かと思い、沖からやってくる波に気持ちを切り替えた。
波頭に白い泡を立てた波が見え、姿勢を立ち上げて乗ろうと思ったが、思ったより波の勢いがなくうまく乗れなかった。
方向転換して、再び波が来る方へ向きを変え、Eさんは「えっ?」と思った。
ついさっきまで近くにいたサーファーがいなくなっていた。
波に乗って、海岸の方に戻ったのかと思い、ぐるりと辺りを見回してみたけど、それらしき人は見当たらない。
こんな一瞬でいなくなるなんて・・・。
Eさんの脳裏に嫌な想像が浮かび、ボードで移動しながら慌てて近くの水中を探した。
それでも見つからない。
見間違いだったのだろうか。

人が少ない海で、急に人を見失うなんて。
Eさんは背筋が急に寒くなった。
まさかな、、、。
お盆が近いとはいえ、サーフボードに乗った幽霊などいるわけがない。
Eさんは一瞬でも怖いと思った自分を内心で笑った。
けど、なんとなくそのことで気持ちがそがれてしまった。
今日はやめにするか。
そう思って、Eさんは海岸目指して戻り始めた。
クロールの要領でボードを漕いでいく。

ところが、さっきから3分以上まっすぐ海岸に向かって泳いでいるのに、奇妙なことにいくら前にすすんでも、海岸に近づけない。
波に押し戻されているとかではない。
進めど進めど海岸に近づけない。そんな感じがした。
むしろ、どんどん沖の方に流されているような気さえした。
天気は良好で波は穏やか。
普段ならとっくにたどりついているはずなのに、岸までたどりつけない。
幽霊を見たかもしれないと思った時以上の恐怖がEさんを襲った。
このまま永遠に海岸にたどりつけないのではないか。
パニックのせいで海水を何回も飲んでしまった。
海岸にいる他のサーファー仲間に異常を知らせようと大声を上げてみたが、誰も反応してくれない。
いやだ、こんなところで死にたくない、、、。

その時、別のサーファーの姿が視界の隅に見えた。
さっきの人かも知れない。
助かった。
そう思って、顔を向けた瞬間、Eさんは凍りついた。
それはサーファーではなかった。
サーフボードだと思ったのは戸板だった。
その上に白装束を着た男の人がうつぶせで寝そべっている。
力尽きて倒れたように投げ出された手足。
海水に濡れて髪と装束はべったりと身体にはりついている。
身体は不自然に青白く骨張っている。
なんだあれは・・・。
Eさんは全く理解ができなかった。
よくないものだというのだかはわかった。
戸板に乗った"何か"は波に揺られ上下動を続けている。
それは次第にEさんのボードの方に近づいているようだった。
波に揺られながら少しずつ少しずつ。
Eさんは慌てて再び海岸に向かってがむしゃらに泳ぎ始めた。
けど泳げども泳げども、"何か"との距離は離れていかない。
むしろ、どんどんどんどん近づいてきている。
もう手を伸ばせば届きそうなところまで、それは近づいてきていて、、、
寝そべっていた青白い身体が、おもむろに手をついて板の上で起き上がり始めた。
濡れた髪からポタポタと水が落ちるのが見えた。
この広い海に逃げ場はどこにもない。
起き上がった"何か"は波に乗って、Eさんの上に覆い被さってきた。

・・・覚えているのはそこまでだ。
気がつくと、Eさんは海岸沿いに寝そべっていた。
気を失っているうちに海岸まで流されたようだった。
沖合いを確認しても、戸板に乗った青白い人などどこにもいなかった。
幻覚か、それとも、海を漂う迷える魂と出会ってしまったのか、、、
Eさんにはわからなった。

由比ヶ浜は昔、処刑場だったともいわれ、今でもときおり人骨が見つかることがあるという。

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