【怖い話】梅雨の傘

T川さんには、梅雨になると思い出す怖い話がある。

今から15年ほど前の話だ。

その頃、T川さんはまだ独身で、都内の1DKの賃貸マンションで一人暮らしをしていた。

マンションは家賃も安く駅近の好物件だったのだが一つだけ難点があった。

建物が低層で横長の形をしていたので、T川さんが入居する312号室にたどりつくまでには、長い廊下を11部屋分も歩かないといけなかったことだ。
途中に階段もないため、こまめに行き来したりすると、とても面倒に感じる距離だった。

そんな、ある日のこと。
T川さんが仕事から帰ってきて、いつものように部屋までの長い廊下を歩いていると、ある部屋の玄関先で目に留まるものがあった。

・・・傘だった。

白地にたくさんのバラのデザインがプリントされた傘が玄関のドアノブに持ち手を引っ掛けて置かれていた。
雨の日に玄関先で乾かされている傘を見かけることはよくあるのだが、なぜその時に限って気になったかというと、その日が梅雨明け間近の久しぶりの快晴だったからだ。
T川さんは、晴れの日にどうして玄関先で傘を乾かしているのだろうと不思議に思ったのだ。
しかも、通り過ぎる時に見てみたら、傘から水が滴って小さな水たまりができていた。
雨に降られたかのように傘は濡れていた。
一日晴れていたのに、一体なぜ、、、。

奇妙だなとは確かに思ったが、それほど気になるわけでもなく、T川さんは振り返らずに自分の部屋に帰った。

その翌日のこと。
T川さんが仕事から帰ると、また同じバラのデザインの傘が玄関先に置かれていた。
今日も終日晴れていたのだが、また、その傘の下だけ廊下がぐっしょりと濡れていた。
その時、傘が濡れていることとは別の違和感をT川さんは感じたのだが、その理由はまだよくわからなかった。

そのまた翌日。
まさかとは思ったが、またも同じ傘が玄関先に置かれていた。
3日連続の快晴だったにも関わらず。

T川さんは、その傘が気になって仕方なかった。
なぜか晴れの日に玄関先に置かれていたり、その傘だけ濡れていたり、たしかに奇妙ではあるが、それだけではどうしてこんなにもその傘が気になるのかT川さんは自分でも説明できなかった。

しかし、その次の日。謎が解けた。

・・・傘が移動しているのだ。

はじめて見た時、傘は304号室のドアにかかっていた。
その翌日は、305号室。
そのさらに翌日は、306号室。
そして、今日は307号室。
毎日、一部屋ずつ傘が移動していた・・・。

誰かのイタズラなのだろうか。
答えが得られぬまま迎えた、さらにその翌日。
傘は前日の隣の308号室の玄関にかけられていた。
わけがわからなかったが、毎日一部屋ずつ傘が移動しているのは、
紛れもなく現実に起きている事象だった。
T川さんは、この傘移動の事象を誰かとシェアしたかったが、
滅多なことで住民同士顔を合わせないし、
挨拶を交わす以上の知り合いもいないので、
悶々と自分と対話するしかなかった。

このまま傘が移動を続けると数日後には312号室の玄関に辿り着く。
それは何としても避けなくてはいけない。
本能的に、T川さんはそう感じた。
何か根拠があったわけではない。
単なるイタズラの可能性ももちろん高い。
でも、あの傘を自分の部屋にたどり着かせてはいけない。
何かよからぬことが起きる。
そう確信的な気持ちがT川さんにはあった。

ところが、その翌日のことだ。
法則としては309号室の玄関にかけられているはずの傘がなくなっていた。
法則は途絶えた。

なぜ毎日傘が移動していたのか、あのまま312号室のT川さんの部屋まで傘がたどり着いていたら一体どうなっていたのか。
謎は残ったが、奇妙な現象が終わったことにT川さんは心の底から安堵した。

その日は梅雨明けだった。
ようやく夏が来る。
T川さんは、夜半にビールの追加を買おうとコンビニに向かった。

マンションから外に出ると、動くものが目に留まった。
クルクルクルクル何かが回っている。
例の白い傘だった。
暗闇の中、宙に浮かんだ傘がクルクルと回っている。
いや、よく目を凝らすと、傘を持つ女性の影がぼんやりと見えた。
近くにいくと、「ふふふふ」と笑う声が聞こえてきた。
女性は、まるでダンスを踊るように傘を回しながら笑っていた。
T川さんはその女性を知っていた。
309号室に住んでいる人だ。

T川さんは、声をかけず、逃げるように自分の部屋に帰った。
309号室の女性は、玄関に置かれていたあの白い傘を手に持ってしまったのではないか。
そして、傘にとり憑かれて、あのような奇異な行動を取っていたのではないか。
そう思えてならなかった。

その日以来、T川さんは白い傘も309号室の女性も見かけることは二度となかった。
女性はその後、どうなったのだろう。そして、あの傘はなんだったのか。
それは、いまも謎のままだ。

もし、梅雨時におかしな傘を見つけても、触ったりしないよう、気をつけた方がいいかもしれない。

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