入院の怖い話
Jさんは、バイクの運転中に転倒して大腿骨を骨折し、ボルトで固定する手術をすることになった。
術後は、リハビリを含め、3週間程度入院が必要だった。
Jさんが入院したのは、M病院という都内の総合病院だ。
15階建の入院棟の6階から15階に入院用の病室が並んでいる。
個室もあると言われたが、1日あたり追加で1万円も支払わなければならなかったので4人の大部屋にした。
Jさんは、廊下側のベッドをあてがわれた。
ベッドは、カーテンで仕切られていて、半個室のような状態だった。
想像していたよりプライバシーは守られていた。
リハビリをする時間を除けば、入院中はほぼ1日自由だ。
家族や友達のお見舞いもあったが、一人の時間の方が圧倒的に長い。
テレビをボーッと見たり、本や漫画を読んで時間を潰すしかなかった。
日中はそれで良かったが、Jさんが嫌だったのは夜だった。
10時には消灯になるのだけど、真っ暗な病院というのが、まず怖い。
トイレまでひとけのない廊下を進むのだけで肝が冷える。
なによりも我慢できなかったのは、同部屋の隣の入院患者さんだった。
窓側のベッドに入院している患者さんで、Jさんは名前も知らないのだけど、夜になると独り言を喋りだすのだ。
「ダメだ」「なんで」「いやだ」
声から察するに高齢の男性のようだった。
相手がいるのかと思うくらいに、ずっとぶつぶつつぶやいていて、イヤホンをつけてテレビを見ても聞こえるくらいの声量だった。
隣の人のひとりごとが気になって、夜も寝られない。
はじめの1週間ほどはなんとか耐えていたJさんだったけど、独り言は一向にやむ気配はなく、我慢の限界にきて看護師さんに相談した。
すると、看護師さんは怪訝そうな顔つきになり言った。
「Jさんの隣のベッドは空いてますよ?」
Jさんは唖然とした。
そんなはずはない、と隣のカーテンを開いてみると、キレイに整えられた無人のベッドがあるだけだった。
言われてみれば、カーテンを隔てた隣から声が聞こえるから”いる”と思い込んでいたけど、入院中、一度も姿を見かけていない。
だとしたら、この1週間、夜中に聞こえてきた声は誰の声だったのか。
Jさんは背筋がゾッとした。
その夜。
早く寝てしまおうと思うのに、そう思うと目はどんどん冴えてきて余計に眠れなかった。
目を瞑って眠気が訪れるのを待っていると、また声が聞こえてきた。
間違いなく、隣のベッドから聞こえる。
「いやだ」「なんで」「いたい」
不平を言う高齢男性の声。
Jさんは耳を塞いだ。
けど、なぜか声は聞こえてくる。
「あいつが悪い」「ひどい」
もうやめてくれ、頼むから。
Jさんは心の中で何度も祈った。
すると、声が聞こえなくなった。
よかった、、、
そう思った矢先。
ギシ、とベッドがきしむような音の後に、ペタと床が鳴る音がした。
隣のベッドにいる"何か"がベッドから起き上がり、歩こうとしている。
Jさんは恐怖で心臓が高鳴った。
ペタ・・ペタ・・ペタ・・
それは、ゆっくり、だが確実に病室を歩いて、病室の入口の方へ向かっていた。
そのまま出て行ってくれ!
Jさんは心の中で叫んだ。
だが、足音はJさんのベッドの前で止まった。
Jさんは息を殺して、身動きしないようにした。
スススス・・・
カーテンを動かす微かな音。
"何か"がJさんのベッドを覗いている。
視線を強く感じた。
起きていることに気づかれたら絶対いけない。
そう思い、Jさんは身を固くした。
額の汗が目に流れてくる。
"何か"はカーテンのところから動かない。
膠着状態が続いた。
どれくらい待っただろう。
力を入れ続けたせいで、身体が震えだした。
目を閉じ続けるのも限界だった。
もう無理だ・・・。
Jさんがパッと目を開けると、
すぐ目の前に老人の顔があった。
老人はJさんと並んでベッドに横になっていた。
やつれた顔はシワとシミだらけ。
苦しそうに目を見開き、喉から絞り出すようなかすれ声を上げた。
「どうして・・・」
Jさんは叫び声を上げた。
気がつくと朝になっていた。
朝食が運ばれている。
「よく眠れました?」
暢気な看護師さんの声が聞こえる。
昨日の出来事はゆめだったのか。
頭が痛い。
起き上がろうとして、Jさんはハッとした。
ベッドシーツに自分のものではない、白い抜け毛が大量にあった。
朝食に手をつけるより早く、Jさんは、病室の変更を看護師さんに申し出た。
個室に移ると、おかしな現象はやんだ。
痛い出費だったが、怖い思いをせず、安眠できるのであれば仕方ないと思った。
大部屋と個室は同じフロアなので、何かあるたびにもといた大部屋の前を通る。
あまり大部屋の方を見ないように足早にすぎていたが、やがてあまり気にならなくなった。
そのうち、大部屋でJさんが使っていたベッドに新しい患者が入院してきた。
60代くらいの男性だった。
あの人は怖い目にあわずにすむのだろうかと、なんとなく気になっていたのだが、ある日、ベッドが空いているのに気づいた。
「・・・あの、そのベッドの人は?」
近くを通りかかった看護師さんを呼び止めてたずねると、看護師さんは暗い顔で声を潜めていった。
「なくなったの」
そこまで重症に見えなかったので、Jさんは驚いた。
亡くなったことと、あのベッドを使ったことに関係はあるのだろうか。
もし、あのまま、あのベッドを使い続けていたら、死んでいたのは自分だったのかもしれない。
・・・嫌な妄想がムクムク膨らんだ。
そして、Jさんはある事実に気づいた。
いくら新しい患者が入院してきても、声が聞こえてきた窓側のベッドは全く使われていなかったのだ。
空いたまま使われないベッド。
やはりあのベッドには何かがあるのだとJさんは思った。
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