隣人にまつわる怖い話 #108

2017/10/25

 

「あら、Sさん」
・・・しまった。鉢合わせないように時間をずらすよう気をつけていたのに、その日は運悪くゴミ出しの時に隣のNさんと出くわしてしまった。
「おはようございます」
精一杯の笑みを浮かべたけど、頬は緊張でひきつっていた。
私は、Nさんが苦手だ。パッと見は、普通の40代の女性だ。余計な詮索をするわけでもなく誰かの陰口を吹き込んでくるわけでもない。学生時代であれば仲良くなっていてもおかしくないと思う。だけど、Nさんには問題があった。
「ねえ、Sさん、こないだ、うちの息子がね・・」
・・・はじまった。私は耳を塞いで逃げたくなった。
それから私は延々30分近くもNさんの息子のMちゃんの話を聞かされた。
私は喉から手がでるほど叫び出したかった。「あなたの息子はとっくに事故で死んでるの!」と。

「・・・じゃあ、私、そろそろ」会話の途切れ目を逃さず私は言った。
「あ、Sさん。よかったら少しうちに寄っていかない?おいしいケーキがあるの」
「・・・え?」
断ってしまえばいいのに、断った後に感じるであろうNさんへの罪悪感に負けてしまい、私は結局お邪魔することになってしまった。今日だけの我慢だ、そう自分に言い聞かせた。

リビングで紅茶とケーキをご馳走になる間もNさんは存在しない息子の話を続けた。
「運動会の徒競走でこけてしまってね」
「遠足の時は水筒を忘れたのよ」
私はそつなく話を合わせた。Nさんの子供は小学校に上がる前に亡くなっているのだが、彼女の中で子供は育ち続けていた。運動会や遠足に参加し、来年には3年生に上がるという。ちょっぴりドジだけどクラスメイトからは愛されている。そんなキャラクター設定まででき上がっている。
胸がはりさけそうだった。私たち夫婦には子供はいないが、Nさんの気持ちはわかる。わかるからこそ、こちらも見ていてつらい。

その時だった・・・。
トントントントン・・・。

誰かが2階を歩く足音が聞こえた。
子供が駆け回っているような軽い足音だった。
私が2階を気にしているとNさんが言った。
「ごめんね。最近、元気がありあまっちゃって」
そして、Nさんは立ち上がり、階段の下から2階に呼び掛けた。
「こら、静かにしなさい!」
すると、音はピタッと止まった。
・・・え?なにこれ?
私はわけがわからなかった。Nさんの旦那さんは単身赴任中で家にはいないはずだ。
・・・子供?あるわけがない。
まるでNさんの狂った世界へ迷いこんでしまったような気分だった。
気のせいだ。そうに違いない。

しかし、私は見てしまった。リビングのドアの向こうに見える階段に立つ子供の足を。
半ズボンに白いソックスを履いている細い足は、まぎれもなく子供の足だった。
私は反射的に立ち上がっていた。子供の足は2階へ消えていった。
「どうしたの?」
Nさんはキョトンとしている。
「だって今・・・」
・・・幽霊?
再び、トトトトトと子供が駆け回る音が2階から聞こえた。
「また、あの子ったら・・・」
「ねえ、Nさん。2階にMちゃんいるの?」
「ごめんなさいね。あの子、シャイだから挨拶もしないで」
「・・・ちょっと、顔見に行ってもいいかしら?」
確かめずにはいられなかった。恐怖に打ち勝つには、その正体を突き止めるしかないと思ったのかもしれない。
私はNさんの返事も待たず階段を上がっていった。

2階の子供部屋のドアが少しだけ開いていた。
・・・幽霊なんているわけない。そう何度自分に言い聞かせても心臓は早鳴った。

キィィ。

ドアは軋んだ音を立てて開いた。
・・・子供部屋には誰もいなかった。

「ほら、M。恥ずかしがってないでSさんに挨拶なさい」
背後からNさんの声がした。
突然、誰かに服をギュッとつかまれた。
小さな子供の手の感覚。
ゆっくりと首だけで振り返る。
・・・すぐ後ろにそれはいた。
首があらぬ方向にまがった男の子。
歪んだ微笑みを浮かべた口許からは血がしたたっていた。

そこからの記憶はない。
気がつくと自宅のベッドの中だった。

・・・いったいアレはなんだったのか。
男の子はMちゃんではなかった。
Nさんの子供を想う気持ちが、浮かばれない子供の幽霊を呼び寄せてしまったのかもしれない。

Nさんはいまでも隣に住んでいる。
ときおり隣の家からは、子供の笑い声が聞こえてくる。

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