【怖い話】忘年会

年末が近づいてくると憂鬱になる。
忘年会の季節だからだ。
うちの会社は典型的な体育会的風土で、パワハラ、セクハラ、モラハラは日常茶飯事。
毎月のように社員が体調不良や精神疾患で辞めていく、真っ黒なブラック企業だ。
そんな会社の忘年会なんて最悪に決まってる。
男性社員は無理やり飲まされ宴会芸を強制され、女性社員の半分以上は幹部職の魔の手に落ちる。
入社して5年、今まで何度となく辞めようと思ったけど、辞めるのも簡単じゃない。
退職をにおわせた瞬間、壮絶なイビリとシゴキが待っている。
そういう扱いを受けた社員は、思考能力を奪われ、洗脳されて働き続ける機械と化し辞めれなくなる。いや、辞めようと思わなくなるというのが正しい。何年か経つと奴らの仲間に入って社畜となるからだ。
そういう社員を何人も見てたから、辞める時は相当な覚悟を決めないといけないと思っていた。
奴らの仲間に入るのはごめんだ。
オレはまだ、まともな人間でいたい。
強くそう思った。

今年の忘年会は、27日の最終営業日だった。
社の近くにある会社の馴染みの居酒屋を貸し切って行われるらしい。
完全な密室。
何が起きても揉み消されるのは間違いない。
仮に、急性アルコール中毒で誰かが死んでも奴らは隠蔽するのではないか。
そんな気すらする。
時々、奴らが、同じ人間とは思えない時がある。
魔界や異界から来た怪物が正体を隠して、人間社会で会社員のフリをして働いているのではないかと思ってしまう。

それでも5年耐えたオレは、ある程度、奴らの扱いを心得ていた。
酒をつぎ、話を聞き、相槌をうち、おだてる。
奴らの思考の先を読んで返事を選ぶ。
奴らが白を黒と考えれば、明らかな白でも笑顔で黒と返す。
それができなければやっていけない。
社会人になって唯一手に入れたスキルだ。

けど、今年の忘年会は誰も予想していなかった方向に向かった。
「ねぇ、今、トイレの前でKさんに似た人とすれ違ったんだけど」
女性社員の一言で、場の空気が凍りついた。
K・・・。
それは、数年前、オフィスのトイレで首を吊って自殺した若手社員の名前だ。遺族は激昂し会社に真実の追求を訴えたが、会社が雇った弁護士に言いくるめられて、いくばくかの慰謝料で手を打ってしまった。
でも、オレは近くでみていたので知っている。
Kの自殺は確実にパワハラが原因だった。
Kの直属の上司Sは、逆らえないKをいたぶるのをなによりの楽しみにしていたクズ野郎だ。
過重なノルマを与えるだけあたえ、入社が浅く知識もないKをほったらかしにして全くサポートせず、案の定、Kがノルマを達成できなければ、何時間も会議室に缶詰にして叱責する。
いや、叱責なんてもんじゃない。拷問だ。
刑事が犯人を取り調べる時だってもう少し気を使って言葉を選ぶんじゃないかというほどに、罵詈雑言を浴びせ続け、Kの姿勢が崩れようものなら平気で手をあげる。
会議室から出てきたKの顔が歪んで口元からヨダレを垂れ流していたのを今でも覚えている。
Kは、1人終電が終わっても仕事を続け、何日も家に帰れない日が続いていた。
周りの社員は助けるどころか、何日もお風呂に入れていないKの体臭を嘲笑ってからかうだけだった。
気づいていても、なにもしなかったオレも同罪かもしれない。

ある日の早朝、出社した社員がトイレで首を吊っているKを発見した。
それを聞いてはじめに頭に浮かんだのは、「やっと、お前もこれでラクになれるな」だった。
Kが死んでも会社は変わらなかった。
役員から幹部の社員達には「もっとうまくやれ」というお達しがあったらしい。
根っこが腐っている会社にとって、Kの死は、間違った教訓になっただけだった。
この会社は病んでいる。
それは間違いない。

そのKと似た人物とトイレですれ違ったという女性社員の発言は場に波紋を作った。
第一、亡くなっているKがこの場にいるわけがない。
酔っているのだろうかと女性社員の顔を見てみたがケロッとした顔をしていた。
Kの上司だった当時者のSはといえば、まるで発言が聞こえなかったかのように、苦い顔でウイスキーの水割りを飲んでいた。
「みんな、飲め飲めー!」
幹部の1人が大きな声でいった。
この猿みたいな連中は、こういう切り替えだけは異様にうまい。
その一声で、またバカ騒ぎが再開された。
オレは、さりげなく席を移動して、先ほどKを見たと発言した女性社員に近づいていった。
「・・・ねぇ、ほんとにKを見たの」
狐につままれたような顔をしていた女性社員が我に返ったようにオレの方を向いた。
「たしかにKさんだったと思う。私、反射的に挨拶しちゃったもん」
どういうことだ。
見間違いではないというのか。
けど、今この店の中には店員と社員しかいないはず。
だとしたら、Kの幽霊ということか。
Kの境遇を考えれば、化けて出てきてもまったく不思議ではない。
自分を追いつめて殺しておいて、浮かれてバカ騒ぎをしている連中を恨まないわけがない。
オレは、席を立ち、トイレに向かった。
自分でもなにを確かめたかったのかはよくわからない。万が一、Kの幽霊と会ったからといって、どうすることもできない。
助けてやれなくてごめんな、と謝るしかない。

トイレは細い廊下の先にあった。
小さな電飾に照らされているだけなので廊下は薄暗かった。
一歩一歩トイレに近づいていく。
トイレのドアの前に立った時、いきなりドアが開いたので、オレは、びっくりして腰を抜かしそうになった。
Kではなく、隣の部署の一つ上の先輩だった。
「お疲れ様です」
オレはうやうやしく頭を下げた。
「おぅ、飲んでるか」
バンバンと、痛くなるほど強い力で肩を叩かれた。
酔っぱらった先輩をやり過ごし、トイレの中を確認する。
その時、社員が飲んでいる会場の方から女性の悲鳴が上がった。
オレは慌てて戻った。
みんなの視線の先が1人の女性社員に集まっている。
さっきKを見たと言っていた社員とは別のKの同期の女性だ。
女性社員は、震える指を窓に向けた。
「・・いま・・・Kさんが窓からこっちを見てました」
今度は窓にみんなの視線が集まった。
会場は5階だ。
窓の外に人が立てるわけがない。
「いい加減にしろ!」
そう叫んでグラスをテーブルに叩きつけたのはSだった。
「酒がまずくなる」
Sはあおるようにグラスを空けた。
再び、幹部の1人が切り替えて場の空気を変えようと盛り上げ始めたが、今度は明らかに雰囲気が変わった。いくら見かけははしゃいでいても、みんなの心の中にKの存在が刺のように刺さっている。
それから、Sはピッチを上げて酒を飲み始め、周りに絡みはじめた。
もともと飲めないくせに空元気で無理をしているのは明白だったが、周りの社員達はSにどんどん酒をすすめた。
数十分もするとSは完全に潰れていた。
「おい、誰かタクシー呼んでやれよ」
幹部の1人がいった。
若手が中心となって、酔い潰れて蒼白の顔をしたSの身体を抱え表に運び、タクシーに詰め込んだ。
一見、気遣っているように見えるが場にふさわしくない人間を退場させただけのことだ。

Sがいなくなって、少し雰囲気も変わり、忘年会は続いた。
おかしな出来事が続いたせいか、今年は、宴会芸の強制もなく、例年に比べれば平和のうちに忘年会は終わりを迎えた。

家に帰れたのは明け方だった。
2日酔いで目覚めてスマホを確認すると、同僚からの電話やLINEの通知が何件も届いていた。メッセージを開いて目を疑った。
「Sが死んだらしい」
同期の同僚に電話で事情をたずねると、Sはタクシーを降りるや仰向けの状態で嘔吐し、吐瀉物が喉につかえて窒息死したのだという。
「Kの呪いかもしれないな」
同僚は声をひそめてそう言った。
Kの幽霊に殺されたのだろうという社員もいた。
例え、そうだとしてもオレは全く驚かない。
天誅というやつだろう。
そう思った。

年明けの初日。
溜まっている仕事があったので、オレは早朝に出社した。
誰もいないだろうと思っていたら会議室から明かりが漏れていた。
漏れきこえてくる声から、社長はじめ幹部の連中がこんな朝早くから会議をしているらしいとわかった。
見つかるのも面倒なので、ひっそりと自分の席に向かおうとしたら、幹部達の会話の内容が聞こえてきて思わず足を止めた。
「いやぁ、Sの件はよかったな」
と言ったのは社長だ。
「そうですねぇ。あんなにうまく死んでくれるとは思いませんでしたね」
「うまくやればできるじゃないか、お前たちも」
社長のガハハハという汚い笑いが聞こえてきた。
その後の話を聞いて事情が見えてきた。
会社は業績が悪いSのクビを切りたかった。
かといってSは会社のやり口を熟知しているので、Kのように精神的に追い込んだら弁護士を雇ったり労組に訴えるかもしれない。
そこで、会社は今までとは違うやり方でSを追い込むことにした。
それが忘年会での、Kを目撃したという女性社員の発言だった。
彼女達は2人とも幹部の女だった。
命じられるがままに、そこにいるはずのないKを目撃したと嘘の証言をする。
しかも、忘年会だけでなく、Sの精神が参るまでずっとやるつもりだったというから、驚くしかない。
鬼畜の所業だ。
「・・・で、Sのポジションには誰をすえましょうか」
「Tなんてどうでしょう」
幹部の1人の口から、まさか自分の名前が出てくるとは思わず、声を出しそうになった。
「あいつも入社して5年経ちますし、そろそろいいかと」
「噛みつかないだろうな」
そう言ったのは、社長だ。
「もし、噛みつくようでしたら、TもSのように処置すればいいかと」
「それもそうだな。次はもっとうまくやれそうだしな」
・・・狂ってる。
発言が人間とは思えなかった。

カチャ

会議室のやりとりに集中していたせいか、筆記用具に手をぶつけてしまい、音を立ててしまった。
「誰かいるのかぁ〜」
低く不気味な声が会議室から響いた。
会議室の磨りガラス越しにのっそりと立ち上がる幹部達の人影だけが見えた。
あいつらは本当に人間なのか・・・。
オレの頭は恐怖でパニックを起こしかけていた。
見つかったらいけない、その一心だった。
オレは、カバンだけ持って、ダッシュでオフィスを出て行った。
その際、同僚の1人とすれ違ったが、振り切って走った。
息が切れるほど走って、気がついたら自宅のマンションにいた。
すぐに最低限の荷物だけまとめて、オレはその足で東京駅に向かい、新幹線で実家の愛媛に向かった。
考えるより身体が動いていた。
あの会社にこれ以上1秒でもいたらいけない。
そう思った。

実家に逃げ帰っても、いつ会社から連絡がくるかずっとヒヤヒヤしていた。へたしたら、実家にまで奴らが追ってくるのではないかとさえ思った。
両親はオレの怯えた様子に察してくれたらしく、なにも聞かずに、ただ温かく迎え入れてくれた。

恐怖とは裏腹に会社からの連絡は一度もなかった。
数週間して、退職に合意する書類などが事務的に実家に届いただけだった。署名捺印と書類のやりとりを何度かしてオレは正式に会社を辞めることができた。
あっさりと会社が縁が切れて拍子抜けした。
こんなことなら、もっと早く動いておけばよかったと思った。

転職した会社は、それなりに大変でも、前の会社の地獄のような社風に比べれば屁でもなかった。
今の会社で、オレはとんでもなく根性がある若者と思われていて、皮肉なものだなと思った。

風の噂で前の会社が倒産したと聞いたのは、4年後のことだった。
業績が傾いていったはっきりした理由はわからないらしいが、同期の人間がいうには、倒産目前の時、社長は幽霊でも見えているみたいに周囲をキョロキョロしては怯えたような様子だったという。
奴らの悪意が、本当に邪悪なものを呼び寄せてしまったのかもしれない。
願わくば、そうあって欲しいものだ・・・。

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