第83話「古井戸」

小学生の頃、僕が住んでいた地区の子どもたちの主な遊び場は河川敷だった。
川沿いに草野球用のグラウンドがあって、たいていの運動や遊びができたからだ。
家にランドセルを置くとまっすぐ河川敷へ。そんな毎日を過ごしていた。
河川敷には、他校の生徒もいた。名前も知らない会ったばかりの子と平気で一緒に野球をやったりしていた。誰と約束しているわけでもないから、行ってみないと誰がいるのかはわからない。気づけば周りは全員他校の生徒ということもよくあった。今思えば、あの頃のコミュニケーション能力は大人になった今とは比べものにならないくらい高かった気がする。

その日も僕は河川敷へ行った。珍しく人が少なかった。僕と、もう一人。初めてみる男の子だけだった。おそらく他校の子だろう。
僕たちは自己紹介をするわけでもなくサッカーをしたり、川で水切りをしたりした。

しばらくして、男の子が藪へ行こうと言い出した。グラウンドの横には藪が広がっていて、小学生の小さな身体からすると、ちょっとした森だった。迷路のように入り組んだ藪は、男の子の冒険心をくすぐるには十分だった。
だけど、僕は、あまり藪で遊ぶのは好きではなかった。葉っぱで身体中に擦り傷ができるからだ。帰ってからお風呂に入ると痛くてしょうがなかった。
そんな僕にはおかまいなしに男の子はずんずん藪の中へ入って行った。
しょうがなく僕は男の子の後を追った。

やがて、ちょっとした開けた場所に出た。藪の中には、いくつかこういうスポットがあって、自動車が捨てられていたりホームレスの家があったりするのだが、そこには古井戸があった。
初めての場所だった。
井戸はコンクリート製で幅は1mくらい。
二人で中を覗いてみると、光が届かない底の方は暗闇になっていた。
「水あるのかな」
僕が言うと、男の子は小石を持ってきて、井戸の中に落とした。
何度か壁に当たって、やがてカツーン!と大きな音がした。
どうやら水はなく、けっこう深そうだ。
「入ってみようか」
男の子が言った。
「危なくない?」
僕は怖くなって言った。万が一足をすべらせたら大怪我しそうだ。
だけど、男の子は僕の言うことなど構わずに井戸の中へ入っていった。
コンクリートのでっぱりに手足をひっかけて、するすると下っていく。
あっという間に男の子の姿が闇に包まれて見えなくなった。
僕はハラハラしながら井戸の中へ目を凝らした。
「おーーい」井戸の底から声がした。
「大丈夫!?」
「大丈夫。君もおいでよ!!」
「僕はいいよ!何があるか教えて」
正直、井戸に入るのは怖かった。一度下ったら二度と戻ってこられないのではないか、そんな気がしたのだ。
その時だった。
「うわーーーーー!!!」
井戸の底から男の子の叫び声がした。
「どうしたの!?大丈夫!!」
何度か呼びかけても返事はなかった。
何かまずいことが起きたんだ。
僕はパニックに陥った。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
男の子を助けないとと思うが、井戸に降りる勇気がどうしてもなかった。
「大人の人を呼んでくる!すぐ戻るから待ってて!」
僕は自己嫌悪に陥りながら、助けを求めに走った。
鋭い草の葉で傷だらけになったが気にならなかった。
運よく河川敷で犬の散歩中のおじさんを見つけた。
事情を説明すると、おじさんが連絡してくれて、数分でハシゴを抱えた消防隊員の一団が到着した。

しかし・・・奇妙なことに井戸の中で男の子は発見されなかった。
そればかりか最近、誰かが降りた痕跡すらなかったという。
男の子の名前を聞かれても、聞いてないので答えられるわけもなく、僕のイタズラだったのではないかと消防隊員の人たちがひそひそ話しているのが聞こえた。
夜遅くまで河川敷周辺で捜索が行われたが、何も見つからずに捜索は打ち切られた。それから、いくら時間が経っても捜索願いを出してくる家族は現れず、この件は、うやむやのままになったのだと思う。

あの井戸で何が起きたのか・・・。
そもそも、あの男の子は何者だったのか・・・。
すっきりしないことばかりだった。

その河川敷が、地元の中学生の間で、幽霊が出没するスポットとして有名だと知ったのは、数年後のことだった・・・。
今では、男の子を助けに井戸の中に入らなくてよかったと思っている。

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