千駄ヶ谷トンネルの怖い話 #291
千駄ヶ谷トンネルは、東京都渋谷区千駄ヶ谷二丁目にあるトンネルである。
60メートル程度のトンネルなのだけど、都内有数の心霊スポットとして有名だ。
それもそのはず。
トンネルの上には、寺院の墓地があるのだ。
1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックにあわせて整備されたのだが、経路上にある仙寿院の墓所を移転せず、墓地の下を通過するようにトンネルが建設されたのだった。
・・・これは僕が大学生の頃の話だ。
当時、僕は一人暮らしするアパートから大学まで自転車で通っていたのだけど、
その通り道に千駄ヶ谷トンネルがあったので、毎日のように通っていた。
心霊スポットということは大学の友達に聞いて知っていたけど、
あまり気にしていなかったし、怪談話を信じてさえいなかった。
千駄ヶ谷トンネルにはそれなりに通行人や停車中のタクシーなどがいたし、何より僕の恐怖心を和らげていたのは、トンネルに住み着いているホームレスの人達の存在だ。
彼らが大事なくトンネルの下で寝泊まりしていられるのは、怖い話が噂に過ぎない証拠ではないか、僕はそう思っていた。
そんなある日のこと。
その日朝から降っていた小雨は、帰宅する頃には本降りになっていた。
雨合羽を着込んで自転車を漕いでいると後輪から炸裂音がした。
タイヤのパンクだった。
自転車を置いていくわけにもいかず、後輪をガタガタさせながら、
自転車を押して帰ることにした。
歩いても1時間くらいあれば着く距離だ。
雨は次第に勢いを増していった。
疲労を感じ始めた頃、前方に千駄ヶ谷トンネルが見えてきた。
思えば歩いてトンネルを通過するのは初めてだ。
気のせいだろうか。
トンネルの中に入った瞬間、ピンッと辺りの空気が張り詰めた気がした。
きっと雨で空気が湿っているせいだろう。
そう思うことにした。
ガタガタとうるさい自転車を押しながらトンネルを進む。
こんな時に限って、ひとけがない。
足がひどく重い。
淀んだ空気が身体に巻きついているみたいだ。
トンネルの中程まで来ると、壁際にダンボールハウスがあった。
見慣れた光景に少しだけ安心する。
死んだように横になっているホームレスの人がいるだけで、
今日ばかりは、とても心強い。
ガタガタと自転車がうるさかったからだろう、
もぞもぞとホームレスの人が起き上がり、こちらを振り返った。
初めてまともに顔を見た。
浅黒い顔に病的にこけた頬。
目だけが爛々と光っていた。
ホームレスの人が口をパクパクさせた。
・・・何か言っている。
耳をすます。
「・・・自転車・・・置いていった方がいいよ」
そして、人差し指を天に向けて立てた。
「・・・起きちゃうから」
僕は目で、ホームレスの人の指の先を追った。
トンネルの天井が見えた。
・・・だけど、何かおかしい。
トンネルの天井がうごめいている。
いくつもの灰色の顔が天井のコンクリートの中から顔を出して僕を見下ろしていた。
笑っている顔、悲しい顔、泣いている顔、怒っている顔一。
僕はその場に自転車を放り投げて、走って逃げた。
どうやってアパートまで帰ったか定かではない。
我に返った時には、雨合羽のまま自分の部屋の玄関先で倒れていた。
とてもじゃないけど、自転車を取りにトンネルに戻る気にはなれなかった。
翌日も大学だった。
今日は慣れない電車で行かないといけない。
アパートの外階段を降りていくと、奇妙なものが目に飛び込んできた。
はじめは、剪定した木の枝が束ねられ、捨てられているのかと思った。
しかし、よく見ると、それは自転車だった。
車体がひしゃげたその自転車は、
まぎれもなくトンネルに捨ててきた僕の自転車だった。
人間でいえば全身の骨を折られたかのように見るも無残な姿だ。
自然な力ではこうはならない・・・。
それに一体誰がここまで運んだのか・・・。
自転車が僕のアパートに捨てられていたのは、警告のような気がした。
僕は、パンクした自転車で騒がしい音を立て、トンネルに巣くうものを怒らせてしまったのかもしれない・・・。
そう僕は理解した。
それから二度と千駄ヶ谷トンネルには近づいていない。
それにしても、トンネルの下で寝泊まりしているホームレスの人達は、
なぜ無事なのだろうか・・・。