【ショートホラー】陰口のない国

「なんびとも、本人のいない場で、陰口を言ってはならない」

突然の「陰口禁止法」の成立に日本中が驚いた。
違反した人は罰金2,000円の過料を支払わねばならず、適用範囲は、現実社会のみならず、オンラインも含まれた。
この法律ができた背景は諸説あり、時の総理大臣が閣僚に陰口を言われているのに激怒して施行を推進したとか、やまぬネットでの誹謗中傷を減らすため国民のモラル向上を目的として施行されたとか、新たな財源確保として他人の悪口が好きな日本人の特性に目をつけたとも言われていた。
事実、この法律が成立した翌年、日本の国家予算は数倍に膨れ上がった。それだけ、違反をして過料を取られた人間が多かったということだ。
「陰口禁止法」の効果には、賛否両論あり、議論は紛糾し続けた。

Kさんは、陰口禁止法の施行から1年も経たずして、すでに数十万円の罰金を払っていた。
口が悪いのは昔から。
三度の飯より悪口が好きなKさんは、陰口禁止法の成立を心から恨んでいた。
(・・・SNSで鬱憤をぶちまけてやろうか)
そう心では思うのだが、実行には移さない。
ネットの場合は、本人のアカウントに直接コメントをしたとしても、匿名なので陰口禁止法に引っかかる。
陰口警察ならぬ密告者たちがそこかしこで監視の目を光らせていて、録音やスクショを撮るチャンスをうかがっていた。
面と向かって本人に悪口を言うのは陰口禁止法に違反するわけではないが、悪口を言うこと自体に対し、周りの目が明らかに変わった。
ちょっと軽い悪口を言っただけで、まるで反体制の人間であるかのごとく扱われる。
思ったことがあっても我慢して押し黙るという選択をするしかなかった。

Yさんは陰口禁止法の施行を心から喜んでいた。
陰で人の悪口をいう人間が昔から嫌いだった。
何か思うところがあっても、Yさんは本人に直接伝える。
匿名のネット上で書き込むなどもってのほかだと思っていた。
施行以来、Yさんにとって日本は住みやすい国になった。

ある日、そんな2人を驚かせる法律改正が日本政府により発表された。
陰口の厳罰化。
すぎた陰口で精神的苦痛を与えた場合や、度重なる違反をした場合、禁固刑が処されることになったのだ。

Kさんは、さらなるフラストレーションで毎日イライラしていた。
他人の悪口をいえないのがこれほどのストレスとは思わなかった。
会社でもプライベートでも、いつもヘラヘラとお追従を言わなければならない。
自分に嘘をつきながら生きるのは苦痛でしかたなかった。

Yさんは、SNSのアカウントを開設した。
嫌なコメントが来たり、炎上したりするのが嫌で今まで手を出していなかったけど、陰口禁止法のおかげで悪口が書き込めなくなったのを知り、ためしにやってみることにした。
はじめは何を投稿すればよいかわからず、日々のさりげないことを書き込んでいたけれど、ある日、Yさんは自分が書きたいテーマを見つけた。
陰口禁止法の是非について。
いまだに賛否の声の議論がやまない陰口禁止法だったが、なぜ必要なのか、Yさんは自分なりの言葉で発信をはじめた。
すると、瞬く間にフォロワーが増えていった。
自分の言葉に、考えに賛同してくれる人達がいる。
Yさんは、SNS投稿にのめりこんでいった。

KさんはPCを前に歯噛みする思いだった。
最近、YというアカウントがSNSで陰口禁止法を賛美する投稿をはじめ、支持者を増やしていた。
Kさんからすると、Yの投稿内容はとても感情的かつ扇情的で、反論のコメントを書き込みたくて仕方なかったけれど、それはできなかった。
匿名での書き込みは悪口と見なされれば陰口禁止法の対象になってしまう。
かといって本名で書き込むほどの気概はない。
イライラは募るばかり。
Yの書き込みは日に日に過激になっていく。
『違反者には更なる罰則を!』『陰口を叩く人間の財産を没収せよ』
おそらくYは反対意見が来ず『いいね数』やフォロワー数だけ見て自分が支持されていると勘違いして調子に乗っているのだろうが、反論や皮肉を書き込みたくても、罰則を恐れて書き込めないだけだ。

そんなある日、Kさんは、陰口バーなるものがあるという噂を聞いた。
そのバーの店内では、どれだけ他人の悪口を言ってもよいそうで、陰口禁止法の反対者が立ち上げた店らしい。
さっそく噂を頼りに、Kさんは、お店を探した。
陰口バーは、さびれた商店街の裏路地にあった。
看板も案内もない。
恐る恐る扉を抜けると、悪口の洪水が耳に入ってきた。
客も店員もお店中の人間が他者を罵り嘲笑っていた。
Kさんの耳には、それがまるで甘美なメロディのように響いて聞こえた。
待ち望んだ場所をやっと見つけたと思った。

Yさんの支持者は増え続けた。
フォロワーは数百万人を超え、ひとつ投稿をするだけで数十万の『いいね』がつく。
フォロワーはYさんの活動を応援し、言外の意味まで解釈してくれ、どんな時もYさんを承認してくれる。
自分の言葉には力がある・・・。
SNSは、Yさんの自信になり、まるで神になったかのような万能感を与えた。
自分は正しい、自分が世の中を動かしているという感覚が日々高まっていく。
Yさんは、自分でも気づかないうちに、陰口禁止法支持者のリーダー的存在になっていった。

そんなある日、フォロワーの1人が陰口バーなるものの存在をYさんに教えてくれた。
その店の中では、どんな陰口も悪口も言いたい放題で、陰口禁止法の反対者たちの根城になっているという。
(この素晴らしい法律を理解しない愚民がまだいるのか)
Yさんは、自分の正義を否定する存在を許容できなかった。
『こんな蛮行を許していいのですか』『断罪が必要です』『粛清しましょう』
フォロワーからも過激な言葉のコメントが多く届いた。
「みなさん、私に任せてください」
今や陰口禁止法支持の絶対的シンボルとなったYさんの投稿に、フォロワーは歓喜した。

Kさんは連日、陰口バーに入り浸った。
会社の上司や嫌な知り合いの悪口を居合わせた客やマスターに聞いてもらうだけで、最高のストレス発散となった。
他の客が抱えている鬱憤にもKさんは熱心に耳を傾けた。
「どんなバカがこんな法律作ったんだ」「日本ももう終わりだな」
店に来るのは全員が陰口禁止法の反対者だ。
この店に来れば仲間がいる。
それだけで、Kさんは、救われた気持ちになった。

その時、陰口バーに1人の男性が入ってきた。
その男性の顔を見た時、Kさんはハッとした。
「そいつは陰口禁止法支持者のYだ。スパイだぞ!」
店に入ってきたのはYさんだった。
KさんはSNSアカウントの写真でYさんの顔を覚えていた。
店中の陰口禁止法反対者がYさんを取り囲んだ。
「お前みたいなアホのせいで、この国はおかしくなった」
KさんはYさんに唾をはいた。
けれど、Yさんは全く動じず、Kさんを据わった目で睨みつけると、
おもむろに懐から刃渡りの長い包丁を取り出した・・・。

警察は、陰口バーの殺傷事件により5人が死傷したと発表した。
この事件はセンセーショナルに報道で取り上げられ、日本全国各地で陰口禁止法支持者による同様の凶悪事件が続発した。

日本政府は、臨床心理士や犯罪心理学者などの専門家で構成された第三者委員会を設置。承認しかされない環境は歪んだ万能感を生み、陰口を言われたくないという人間心理が犯罪抑止力に一定の効果があるとの見解を発表した。こうして、陰口禁止法は撤廃されることになった。

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