これはTさんが大学三年生の夏に体験した怖い話。
「露天風呂付の客室に泊まってみたいな」
交際して1年になる彼女Mさんの何気ない一言で、Tさんは、 夏に二人で旅行にいく旅館を探すことになった。
ちょうど記念日も近く、Tさんは彼女にいいところを見せたくて、張り切って旅館探しを始めた。
とはいえ、生活費を自分で賄っていたTさんにとって、露天風呂付き客室の宿泊費は高すぎた。
探し始めたのは七月。時期も悪く、手頃な宿はすでに予約で埋まっていた。
いくつもの旅行サイトを巡っても、予算内で条件を満たす宿は見つからない。
そんな中、ようやく一軒、格安の露天風呂付き客室を見つけた。
写真は新築のように清潔で洒落ており、露天風呂も二人で入るには十分な広さ。
レビューも高評価ばかりだった。
Tさんはすぐに予約を入れ、Mさんにメッセージを送った。
彼女はとても喜び、Tさんは誇らしい気持ちになった。
旅行当日、二人はレンタカーで旅館へ向かった。
予約メールに載っていた住所をナビに入れて、指示に従って車を走らせると、だんだんと住宅がなくなり周りは雑木林に覆われていった。
やがて、舗装も途切れ、道は荒れた林道に変わった。
「ほんとにこんなとこに旅館あるの?」
不安げなMさんに、Tさんは「大丈夫だって」と笑ってみせたが内心はとても不安だった。
予約できていることは何度も確認したものの、どんなロケーションにあるかまでは下調べができていなかった。
まさかここまで山深いところにあるなんて思わなかった。
林道を30分くらい上っていくと開けた場所に出た。
ようやく建物が見えた。
やっと着いたかと思ったのも束の間、二人は絶句した。
あたり一面、雑草が広がっている中に建っていたのは七階建ての廃墟だった。
窓ガラスは割れ、外壁は黒ずみ、建物は完全に朽ち果てており、 かつての面影はない。
看板にはかすれた文字で「XXX」と旅館名が記されていた。
間違いなくその名前はTさんが予約した旅館のものだった。
「ふざけてるの?本当に予約したの?」
「したよ!」
「嘘つかないでよ!廃墟じゃん!」
Mさんはすっかり怒ってしまった。
それから、Tさんがどう謝ってもMさんの機嫌が直ることはなかった。
一言もしゃべらないまま山を車で引き返し、街へ出るとMさんはタクシーを呼んで、自分一人で帰ってしまった。
Tさんは、わけがわからなかった。
確かに予約したのに。
スマホで予約サイトを確認したが、ページは「404 Not Found」と表示され、旅行サイトの旅館ページにアクセスできなくなっていた。
Tさんは失意の中、レンタカーを返して自宅アパートに帰った。
自宅についた時には、すっかり夜は更けていた。
何度メッセージを入れてもMさんの既読はつかなかった。
疲れ果ててベッドに横になっていると、Tさんはいつの間にか眠ってしまった。
真夜中。
部屋にひとの気配を感じてTさんは目を覚ました。
TさんはMさんが帰ってきたのだと思った。
合鍵を渡しているのはMさんだけだからだ。
少し拗ねた気持ちもあり、Tさんは寝たふりを続けた。
だが、部屋をうろつく人影は、妙な動きをしていた。
あっちへ行ったり、こっちへ来たり、落ち着きがない。
変だなと思った次の瞬間、黒い人影がベッドで眠るTさんに迫り寄ってきて、突然、頭をおさえつけてきた。
人影はMさんなどではなかった。
人の形をした、黒いモヤだった。
頭をおさえつけられたTさんは自分ではもがいているつもりなのに金縛りにあったように身体が全く動かなかった。
「……キ…セル」
黒い人影から男の声がした。
「……キャンセル…リョウ……」
……キャンセル料?
キャンセル料ってなんだ?
思いあたるのは今日本当は泊まるはずだった旅館のキャンセル料くらいだ。
まさか、宿泊してもいないのに、キャンセル料を請求されているのか?
Tさんはテーブルの上に置いてある自分の財布を見た。
すると、黒いもやはクルリと向きを変え、Tさんの財布の方へと歩いていった。
Tさんの記憶は、そこで途切れた。
……気がつくと朝になっていた。
夢だったのかと思って、財布を確認すると、宿泊料を払うため口座から引き落としていた4万円がなくなっていた。
キャンセル料を取られたということなのだろうか。
恐怖が薄れるにつれ、だんだんと怒りがこみ上げてきた。
泊まってもいないのにキャンセル料を取るなんて。
この世ならざる者たちですら、こんなあこぎなことをするのか。
結局、その後、Mさんとも別れることになり、Tさんにとっては散々な夏となった。
それから数年。
Tさんには今でも一つ気になっていることがある。
今でも時折、「XXX」という問題の旅館を紹介するSNS投稿を見かけるのだ。
あの旅館の予約サイトは今も誰かの目にとまっているのかもしれない……。
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