【怖い話】聖地巡礼

……おかしな日だった。
23時を回って東京駅近郊を流しても一人も客がつかまらない。
中央区、千代田区と車を走らせてみるが、驚くほど街に人の気配が感じられない。
まるで東京から人が消えたみたいだ……。
タクシー業界には、たまにこういう大時化の時がある。
こんな日はろくでもないことが起きる前触れのような気がしてしまう。
だから、早めに仕事を切り上げようと考えていたので、バックミラーの中に女性の姿が映りこんだ時、望月光太郎は心底びっくりした。
女性は突然、風のように、後部座席に現れた。
乗り込んできたことに望月は全く気がつかなかった。
「……すみません、ドアが開いたので」
女性は勝手に乗り込んだことを詫びた。
透き通った声だった。
こんな時間にこの近辺でタクシーを拾うとなると、丸の内あたりで働いている会社員の人だろうか。だが、大学生くらいの年齢にも見える。
「……どちらまで行きますか」
望月は気を取り直してバックミラー越しに女性客に尋ねた。
「……これから都内を4カ所ほど回っていただきたいのですが、そういったお願いは可能ですか?」
「4カ所?えぇ。大丈夫ですが……」
「では、まずF市のXXまでお願いします」
望月はギョッとした。
女性が指定してきた住所は東京都下の街でここからゆうに1時間以上はかかる。
てっきり23区の近隣を4カ所回るものだと思っていたが、東京を横断する規模で今から4カ所回るつもりなのだろうか。
時刻はもう24時を回ろうしていた。
それほど急な用事なのだろうか。
しかも女性一人で……。
望月の戸惑いを察してか女性は補足した。
「手配していた車が使えなくなってしまったんです……」
そういって女性はバッグから封筒を取り出して望月に差し出した。
中には30万円以上はありそうな現金の束が入っていた。
「前金です。4カ所全て巡り終わればこの倍をお支払いします」
あまりの気前の良さに望月は唖然とした。
まるでトム・クルーズの『コラテラル』という映画みたいだ。
プロの暗殺者を偶然乗せてしまったタクシー運転手が、彼の仕事に一晩巻き込まれるというクライムサスペンスだ。
後部座席の女性が暗殺者にはとても見えないが、こんな大金を渡すほどの何の目的があるというのだろうか。
「難しければ諦めます」
女性が引こうとしているのを見て望月は覚悟を決めた。
個人タクシーなので会社に報告する義務はない。
仕事を受けるかどうかは望月次第だ。
売上を稼ぐ絶好のチャンスをみすみす逃す手はなかった。
「F市のXX ですね」
望月が意を決したのを悟って女性は薄っすら笑みを浮かべ名刺を差し出してきた。
無地のシンプルな名刺に何の肩書きもなく『浦田沙羅』と名前だけ印字されていた。
「浦田さん……よろしくお願いします。運転を担当します望月と申します」
「よろしくお願いします……望月さん」
挨拶を終えると、望月は路肩からタクシーを発進させた。

中央自動車道に入って一路、東京都下へ車を走らせた。
深夜の高速はすいぶん空いていた。
「お仕事ですか……こんな遅くまで」
望月は後部座席の沙羅に話しかけてみた。
普段ならお客に声をかけるような野暮なことはしないのが望月の主義だ。
だが、これから数時間ドライブをともにする可能性があるのだ。
少しくらいはコミュニケーションを取った方がいいだろうと望月は考えた。
「……仕事といいますか」
窓外を眺めながら沙羅は言い淀んだ。
あまり言いたくない事情があるのかもしれない。
失敗した。聞かない方がよかったかと望月はすぐに後悔した。
すると沙羅は話を続けた。
「聖地巡礼をご存じですか?」
「聖地巡礼?……アニメとか映画のロケ地を巡るやつですか?」
「えぇ」
こんな深夜に?と喉元まで出かけたが望月はグッと飲み込んだ。
「こんな夜遅くに、と思ってますか?」
まるで望月の心を言い当てるかのような沙羅の言動にびっくりした。
「いえ、その……」
「夜でないといけない巡礼もあるんですよ」
そう言って沙羅は「ふふ」と笑った。
不思議な女性だった。
どこか掴みどころがなく年齢も不詳な感じがする。
幼くも見えるし老成した雰囲気もある。
はじめこそ丸の内の会社員かと思ったが、どうやら普通の仕事をしている人ではなさそうな気がする
真夜中に聖地巡礼をするという奇異な行動も、
この人がするならばと思わせる説得力が沙羅にはあった。

深夜1時過ぎ 。
沙羅が指定したF市の住所に到着した。
そこには一軒の家が建っていた。
雑木林に囲まれていて近隣の住宅とは少し隔絶されている。
この辺りは東京の中でも緑が多い地域として知られていた。
最寄りの駅からはだいぶ離れているので車がなければ不便な場所だ。
「10分ほどで戻ります……ここでお待ちいただけますか?」
後部座席から沙羅が言った。
「わかりました」
沙羅は全く音を立てずにタクシーを降りていき一軒家に向かって歩いていった。
望月は沙羅が向かった家を見やった。
見たところ、ごく普通の家だ。
寝静まっているのか家は真っ暗だった。
……一体この家が何の聖地なのだろう?
考えても何も思い浮かばなかった。

10分という話だったが20分待っても沙羅は戻ってこなかった。
何かあったのだろうか。
さすがに心配になって、望月はタクシーを降りて家の方に向かっていった。
近づくほどに望月は建物に違和感を覚えていった。
庭は草が伸び放題。玄関周りも荒涼として生活感がない。
この家で人が暮らしているのだろうか。
玄関のドアは半開きになっていた。
「浦田さん、大丈夫ですか?」
家人が寝ている場合も考え、あまり大きな声は出さずにそれとなく呼びかけた。
反応はまったくない。
玄関の戸を少し押し開ける。
落ち葉がカサカサと音を立てて家の中から舞って出てきた。
埃とカビのニオイが鼻を刺激した。
玄関に靴は一足もない。
……やはりそうだ。
この家には人が住んでなどいないのだ。
ということは廃墟なのだろうか?
こんなところに沙羅は何の用事があるというのか。
しかもこんな深夜に。
望月は薄ら寒い気持ちになってきた。
「……浦田さん?」
再び呼びかけるが反応はない。
その時、背後で玄関のドアが閉まり望月は心臓が飛び出そうなほど驚いた。
風のせいだろうか。
家の中は真っ暗闇だった。
電灯のスイッチを探して押してみても電気は通っていなかった。
仕方なくスマホでライトをつけて周囲を照らした。
白色の明かりが3mほどの範囲をぼんやりと浮かびあがらせる。
明かりが届かない廊下の奥の闇に何か潜んでいそうで不気味だった。
靴のまま玄関をあがる。
一歩あるくたびギシリと廊下が鳴った。

トン……トン……

ふいに家のどこかで何かを叩く音がした気がした。
沙羅だろうか。
音が聞こえた方へ歩いていく。
台所に出た。
食器棚にはお皿などが残ったままになっていた。
かつての住人は相当急いで引っ越したに違いない。
台所の奥には勝手口があった。
さっきの音は勝手口の戸が叩かれ音かもしれない。
望月は勝手口の戸に近寄っていきドアノブに手を伸ばした。
次の瞬間、シンクの上の窓ガラスに女の顔が現れて、望月は腰を抜かしそうになった。
沙羅だった。
「おどろかせてしまいましたか」
「びっくりさせないでください……あんまり遅いんで見に来たんです」
「すいません、探し物が思ったように見つからなくて」
「探し物?」
「望月さんはどう思いますか、この家」
沙羅は懐中電灯の光を台所全体にグルリと回して言った。
「どうって、廃墟ですよね」
「なぜ廃墟になったのか、興味ありませんか」
「え?」
「もうしばらく時間もかかりそうなので、少しお話させてください」
そう言って沙羅は、望月の返答も待たず、捜索作業を続けながら、この家にまつわる話を語り始めた。

「……この家にはもともと40代の夫婦と7歳の男の子が住んでいました。中古物件ですが夢のマイホームをようやく手に入れて家族みんなで幸せに暮らしていたそうです。ところが入居してしばらくして一家はある現象に悩まされます……深夜になると妙な音が聞こえてくるんです」
「妙な音?」
「えぇ、玄関の戸、窓ガラス、家の壁、あらゆる場所を誰かが外から叩く音……トントン……最初は小さく、聞こえるかどうかの微かな音量で。でも、音はだんだんと大きくなっていって、しまいにはドンドンと太鼓でも叩いているような大きな音に変わる。それが連日朝方まで続いたそうです……一体誰が音を出しているのか出所を確認にいくんですが家の周りには誰の姿もありませんでした。ただ叩く音だけが連日連夜聞こえてくる。一家はすっかりノイローゼになってしまい半年もしないうちにこの家を手放したそうです」
その時だった。

トン……トン……トン……
 
微かに叩く音が聞こえた。
望月は背中に寒いものを感じた。
いや、きっと気のせいだ……。
「今、音が聞こえましたね」
望月の勘違いならよかったが沙羅にも聞こえたらしい。
沙羅の表情は怖いというよりどこか嬉しそうだ。
「いってみましょう」
沙羅はためらわず音がした方へ確認に走っていった。
望月は一人きりになりたくなくて沙羅の後についていった。
たどりついた部屋は和室だった。
沙羅は部屋の隅々まで調べだした。
「さっきまではさっぱりだったんですが。望月さんが何か持っているのかもしれませんね」
「はぁ……」
望月は返答に困った。
その時、再び、トントントン!と音がした。
今度はさっきより強くはっきりと聞こえた。
音は浴室からしているようだ。
誰かが浴室の窓を叩いたのだ。
……でも誰が?
沙羅は思案顔で浴室も隅々まで調べた。
その時、ドン!とハンマーで叩くかのような大音量がした。
あまりの音の大きさに地響きのようにビリビリと望月の内臓が揺れた。
「なんだよ!」
望月は反射的に声が出てしまった。
沙羅は音を追って素早く部屋を移動した。
望月は沙羅においていかれないよう、ついていった。
次の部屋は洋室だった。
本棚とテーブルが置かれていて窓には分厚い遮光カーテンが引かれていた。
叩く音がしたのは遮光カーテンの奥だろう。
沙羅は一歩一歩カーテンに近づいていった。
ダメだ、開けない方がいい……
望月は心でそう念じたが、沙羅はためらいなくカーテンを引いた。
現れた窓ガラスには……何も映っていなかった。
沙羅は窓ガラスの鍵を開けると表の草藪に降りていき伸び切った薮の中をガサガサ掻き分け始めた。
望月は頼まれたわけでもなく作業する沙羅をスマホのライトの光で照らしていた。
すると、おもむろに沙羅が薮の中から何かを拾いあげた。
赤いハイヒールだった。
沙羅はハイヒールを詳細に確認すると、満足気な顔をして、
「車に戻りましょう」と言った。

タクシーに戻ってくると沙羅は手元に寄木模様のお洒落な箱を抱えていた。
あんな箱、乗ってきた時に持っていただろうか。望月は不思議に思った。
沙羅は箱の蓋を開け拾ってきたハイヒールを丁寧にしまいこんだ。
何度もやってきたような慣れた手つきだった。
一方の望月はまだ気持ちが鎮まっていなかった。
「……なんだったんですか……さっきの」
望月は沙羅に尋ねた。
「え?」
何かおかしなことでもあったかという感じで沙羅は答えた。
「その……あの叩く音……霊的な何かだったんですか」
「望月さんが体験したものをどうお感じになるか。それが答えではないでしょうか」
はぐらかされた気がした。
「……聖地巡礼というのは心霊スポットの巡礼なんですか?」
「えぇ…あまり褒められたものではないかもしれませんが」
褒められたものどころか悪趣味すぎる。
「悪趣味と思われても仕方ないですね」
またも望月が思ったことを言い当てられてギョッとした。
「私、人の心が読めるんです」
バックミラー越しに沙羅と目があった。
まっすぐな目で見つめ返された。
「冗談ですよ」そう言って沙羅は「ふふ」と笑った。
本当に冗談なのか。
一体この女性は何者なのだろうか。
こんな真夜中に心霊スポットを巡礼するなんて正気の沙汰とは思えない。
それに、なぜハイヒールを拾って持ち帰ってきたのか。
戦利品か何かなのか。
「次はFトンネルに向かってください」
沙羅はバックミラー越しに淡々と望月に指示を伝えた。
「……Fトンネル」
望月は名前検索してナビにFトンネルを登録した。
ここから30分ほどだ。
「そこが次の巡礼地になります」
望月は車を走らせ始めた。

15分ほど車を走らせると街灯も少なくなり山間の道に入り始めた。
もうすぐ深夜2時になろうとしている。
この時間、対向車もほとんどいない。
「そのFトンネルというのも……」望月は沙羅に尋ねてみた。
「心霊スポットかというご質問なら、そうです」
一体なぜ心霊スポットの聖地を巡礼しているのか。
聞いてみたい気もするが怖くて聞けなかった。
喉がカラカラに乾いている。
連続運転のせいというより非日常的な緊張のせいだろう。
こんな深夜にとんだお客を乗せてしまったと望月は後悔した。
望月は個人事業主のタクシー運転手になってまだ日が浅く、勝手がわからず空回りするところがあるのは自分でも自覚していた。
自由を求めて脱サラしてみたものの、やってみてわかったことだが、会社員以上に個人事業主は毎日が不安とストレスとの闘いだった。
売上の責任は全て自分にある。
その重圧は想像以上だった。
だが、沙羅の送迎の仕事を終えれば60万円以上の売上が入ってだいぶ気持ちに余裕ができるに違いない。
今日だけの我慢だ。望月は気合いを入れなおした。
「到着まで時間がありますので、Fトンネルのお話もしましょうか」
沙羅が窓外の流れる風景を眺めながらおもむろに言った。
「……そのトンネルにも、いわくがあるんですか」
「えぇ」
聞きたいとは一言も言っていないが沙羅は勝手に語り始めた。

「……数年前、20代の夫婦がこの国道をFトンネルに向かってドライブしていました。季節は冬で、夫婦は結婚して3年目の記念日に温泉旅行に出かけた帰りでした。色々と観光地を巡ってから家路についたので、Fトンネルを通りかかったのは深夜2時を過ぎていました。ちょうど今と同じくらいの時間です。周りには他に走る車がほとんどなく、たまに対向車とすれ違う程度でした。
その日は薄く霧がかかっているせいもあって、トンネル内は照明がついていても薄暗い感じがしたそうです。二人とも早くこのトンネルを抜けたいと思いました。
ふいに、奥さんが言いました。
『ねぇ、なんか鈴の音が聞こえない?』
言われて、旦那さんが耳を澄ませると、たしかにうっすらシャンシャンと鈴が鳴る音が聞こえる気がしました。
『なんだろう』
音は比較的近くから聞こえます。
ですが、車内に鈴が鳴るようなモノはありません。

シャン…シャン…シャン…

しかし、やはり、鈴の音は聞こえてきます。
一度、気になってしまうと、さっきより明確に、より大きく鈴の音が聞こえるような気がしました。
走る車に合わせるようにテンポよくシャンシャンシャンと聞こえてきます。

奥さんは身をよじって鈴の音の出所を探しました。ですが、カバンの中や後部座席の下など、それらしい場所をいくら探しても、鈴は見つかりません。
『どこにも鈴なんてないよ』
『なんだろうこの音』
奥さんが不安そうな表情で見てくるので旦那さんも気がかりになってきました。
気がつくと、ハンドルを握る手には汗が浮かんでいました。

旦那さんは思い切って車をトンネル内の路肩に停め車内を確認することにしました。
ライトを頼りに、座席の下など車内をくまなく見回しましたが、鈴の音をだすようなものはやはり見当たりませんでした。
『あった?』
『ない』
仕方なく、また車を走らせ出すと、再びシャン…シャン…シャン…と鈴の音が聞こえてきます。
夫婦はすっかり気味が悪くなってきました。
薄暗くひと気のないトンネルのせいで、より一層、その気持ちは募りました。
早くトンネルを抜けて明るい場所に出ようと旦那さんはスピードを上げて車を走らせました。
ところが、ようやくトンネルの出口が見えたきたその時……あ、到着しましたね」
前方にFトンネルの入口が見えてきた。
暗い山道にぽっかりとトンネルの入口が口を開けて待ち受けている。
トンネルの周囲は薄く霞がかっているように見えた。
どうやら霧が出てきたようだ。
こんな怪談話を聞いた後に、深夜のトンネルになど入りたくはなかったが仕事ではいかざるをえない。
望月は覚悟を決めてトンネルに車を走らせた。
トンネルの中はオレンジ色の照明で明るかったが、それでも霧のせいで視界は悪かった。
トンネルの入口が見えたあたりから沙羅は一言もしゃべらなくなってしまった。
何かを探すように窓外を気にしている。
……その後、夫婦はどうなったのか。
望月が「そのご夫婦は…」と言いかけた瞬間、突然、グワン!とタクシーの車体が浮き上がった。
何か大きなモノに乗り上げてしまったようだ。
望月は慌ててブレーキをかけてタクシーを停めた。
前方注意は怠っていなかったはずだが沙羅の怪談に引きずられて散漫になっていたのだろうか。
モノをひいただけならいいが動物をひいてしまったりしていたら最悪だ。
「すいません、確認します」
望月は沙羅に告げタクシーを降りた。
トンネルの中の空気は夏にも関わらず突き刺すような寒さでブルッと身体が震えた。
車体前方に回る。
ヘッドライトに照らし出された車体前部には、ぶつかったり、はねたような痕跡は何もなかった。
ホッと安心した。
念のため望月はスマホのライトで車体の下を確認した。
……何もない。
タイヤの裏にも、車体の下にも、車の周囲にも、車を乗り上げさせるようなものは何も見当たらなかった。
地面に這いつくばるようにして車体の下に手を差し入れておかしなものがないか確認したが大丈夫そうだ。
その時、突然、タクシーのヘッドライトが消えた。
「……え?」
次の瞬間、車体の下に入れていた前腕部に冷たい感触があって、思わず手を引いた。
まるで誰かの手が望月の腕を掴んだような感触だった……。
そんなまさか……。
しかし、人間の手だとしたらあまりに冷たすぎる。
望月が恐る恐る車体の下をもう一度確認しようと頭を下げた瞬間、耳元でシャンシャンと鈴の音が鳴った。
「うわっ!」
望月は叫び声をあげて後ろに飛びすさった。
見ると、沙羅が、小さな鈴がついたアクセサリーを指先で持って振っていた。
鈴が振られるたび、シャンシャンと音が鳴っている。
「なんのつもりですか?!」
望月は沙羅に怒った。
「すみません、怖がらせるつもりはなかったんです……やはり望月さんは何かお持ちのようですね。こんなに早く見つかるとは」
そう言って沙羅は鈴のアクセサリーを見つめた。
望月はすぐには立ち上がれなかった。
「……ご夫婦も今の我々と同じ体験をしたんだそうです。車体が何かに乗り上げ、車を降りて確認しても何もない。その時……」
沙羅は鈴をおもいきり振り鳴らした。

シャリシャリシャリシャリシャリシャリシャリシャリ!

鈴の音は、増えて重なるほどに耳ざわりになって、気味の悪さが勝る。
「こんな鈴の音を聞いたんだそうです……ご夫婦はこう考えました。このトンネルでその昔、車に引きずられて亡くなった人がいるのではないか。鈴はその亡くなった方の持ち物で、死にたくなかった無念が鈴の音となって今でも鳴っているのではないか、と」
「……じゃあ、今、浦田さんが持っている、その鈴が」
「そうかもしれませんね、ふふ」
そう言うと、沙羅はハイヒールを入れた寄木模様の箱を持ってきて、中に鈴のアクセサリーも丁寧にしまった。
一体なんなんだ、この人……。
心霊スポットを巡って呪われた品を集めているコレクターなのか。
望月は正気を疑った。
どうかしてる……。
今すぐ乗車拒否をして家に帰りたかった。
1秒たりとも彼女と一緒にいたくなかった。
こんなバカげた送迎はさっさと終わりにしよう。
望月は勢いで運転席に戻った。
だが、なぜかタクシーのエンジンが停止していて、何度かけ直してみても起動しなかった。
顔をあげると、フロントガラスの向こうから、沙羅がじっと望月の方を見つめていた。

30分後、一台の車がトンネルにやってきた。
「先輩、ここです!」
望月はドライバーに手を振った。
車は望月の前でスピードを緩めた。
運転席の窓が開いて宗方誠が顔を出した。
宗方は望月の高校の先輩で地元のT市で自動車整備工場を営んでいる。
望月が脱サラして個人タクシーを始める際に何かと助けてもらった。
夜更けに連絡がつくか賭けだったがメッセージを送ったらすぐに返事をくれた。
「すいません、こんな遅くに」
望月は謝罪をした。
「いや別にいいけどさ……お前も大変だな、こんな遅くまで」
「いえ」
「しかも、よりにもよってこんな場所でさ」
「ここ、そんなに有名なスポットなんですか?」
「まぁ色々事件があったって噂だけど……お客さん?」
宗方はトンネルの壁の落書きを眺めている沙羅に視線を送った。
「えぇ」
「別のタクシー呼んでやれよ」
「俺もそう言ったんですけど……」
30分前、望月はタクシーが故障した可能性があって修理を今から呼ぶと時間がかかるので、沙羅に別の車両を手配する提案をした。
車両トラブルなので前金の半分も返すと伝えた。
だが、沙羅は待つので修理を進めて欲しいと望月の提案を退け最後まで送迎を続けてもらいたいと言い張った。
望月からすると待つのは時間の無駄なような気がして、沙羅が何を考えているのかさっぱりわからなかった。
「おい、すごい美人じゃん」
振り返った沙羅を見て宗方が言った。
「……そうですかね」
呑気な宗方に望月は苦笑を返すしかなかった。
宗方も、沙羅がどんな聖地巡礼をしているか聞いたら考えを改めるに違いない。
「あの……先輩、修理を」
「おお」
宗方は車を降りると工具をもってタクシーのボンネットを開け不具合の原因を調べ始めた。
宗方が修理をしている間、望月は沙羅の方に歩み寄っていった。
「腕は確かな人なので大丈夫だと思います……高校の先輩なんです」
「それはよかったです……望月さんの地元はこのあたりなんですか?」
「ここから30分ほどのところにあるT市です」
「やはりそうですか……Fトンネルのこともご存じだったようですし、お近くなのかと思っていました」
「え?」
「迷わずナビを設定されてましたから」
「……怪談話は知りませんでしたが」
「そうですか」
なぜだろう。沙羅と話していると心のうちを見透かされている気がして居心地が悪くなる。
その時、タクシーのエンジンがかかってヘッドライトが点灯したのが見えた。
「直ったぞ」
宗方の声がした。
望月は支払いをしに修理を終えた宗方の方へ歩み寄っていった。
「先輩。どこが悪かったんですか?」
「いや、それがさ……どこも悪くなかった」
「え?」
「急にエンジンがかかったんだ」
宗方は望月が万札を手にしているのを見ると、
「金はいいや。なにもしてないし」
そう言うや宗方は逃げるようにそそくさと帰ってしまった。
望月が振り返ると、沙羅はすでにタクシーの後部座席に乗り込んでいた。
「さぁ行きましょう。次の巡礼地へ」

3カ所目の巡礼地はS山の中腹にある駐車場だった。
Fトンネルからさらに車で30分ほど山をのぼった場所にあった。
S山駐車場は、無料で24時間開放されていてトイレもあるので旅行客やトラック運転手の休憩場所として使われていた。
時刻は深夜3時を過ぎていた。
おあつらえ向きに今日は一台も他の車がいなかった。
だだっ広い駐車場の真ん中に望月と沙羅を乗せたタクシーだけがポツンと停車している。
「……この場所で休憩中に、トラック運転手や旅行客が大勢恐怖体験をしているそうです」
到着するやまたも沙羅は聞いてもいないのにいわくを語り始めた。
「証言をまとめると、ここで深夜に休憩をしていると、若い女性に車の中を覗かれるというんです」
「覗かれる?」
「えぇ、女性は運転席の窓ガラスにほとんど顔をつけるまで接近して車内を覗くんだそうです。血走った目を見開いて鬼気迫った顔つきで」
望月は反射的に運転席の横の窓ガラスを見た。
ガラスには、怪談話に怯えた様子の望月の顔が反射して映っているだけだった。
「しかし、一瞬で女性は姿を消して、何事かと思って慌てて車を降りて確認しても、もう女性らしき人影はどこにもないんだそうです」
「……怖いですね」
「えぇ。目撃者の人達は、その女性がまるで車内で誰かを探しているようだったと口を揃えて言いました……女性は一体誰を探していたんでしょうね、こんな辺鄙な場所で」
「……恨んでいる相手とかですかね」
「恨んでいる相手……」
「例えば……裏切った相手とか、自分を殺した犯人とか」
「なるほど。それなら鬼気迫る顔で車を覗くのも納得がいきます」
「で、浦田さんは今度は何を探しているんですか?」
「え?」
「ハイヒールに鈴。この場所でも何かを探しているんじゃありませんか」
「ふふ、よくわかりましたね。はい、探しています……でも、それが何なのかは私にもまだわかりません」
「わからない?……あの、浦田さんが探しているのは亡くなった人の所持品なんですか?」
沙羅は黙った。
「……なんとなくそんな気がして。でも、何のためにですか?コレクションしているとか?」
「所持品にはその人の思念が宿りやすい……それが理由です」
「思念……?一体あなたは……」
何をしようとしているのですかと聞こうとすると、
ふいに沙羅がタクシーを降りてしまった。
「どちらに行くんですか?」
「少し周辺を見回りに」
「え?」
そう言って沙羅は車から遠ざかっていった。
望月は困惑した。
あんな怪談話を聞いた後に一人にしないで欲しかった。
沙羅についていこうか迷ったが、
沙羅の姿は闇に溶けてすぐに見えなくなってしまった。
こんな暗闇に一人で出ていくなんてどうかしてる。
タクシーに一人残された望月はひしひしと恐怖を感じ始めた。
2人でいる時と1人の時では車内の空気がまるで違う。
1人はどこまでも孤独で不安だった。
駐車場にはほとんど街灯がない。
頼りになるのはヘッドライトの明かりだけだ。
ライトの光が届かない向こう側の闇をじっと見つめていると何かが潜んでいるような気がどうしてもしてくる。
……そうだ、何か音楽でも聴いて気を紛らわせよう。
望月はラジオをつけて明るそうな番組を探した。
と、視界の隅を何かがよぎっていったのが見えた。
すぐに視線を向けたが、見えたのは駐車場の闇だけだった。
誰の姿もない。
……沙羅が横切っていったのだろうか。
きっとそうに違いない。
望月は窓ガラスを開けて、首を出して周囲を確認した。
車から視認できるところには誰の姿もない。
さっき沙羅が話していたこの駐車場の怪談を思い出した。
覗く女……。
まさか、ありえない……。
車内にいればタクシーの車体に守られているはずなのに、かえって四方を闇にさらされて無防備な気がしてくる。
少し気を緩めたら闇の中に一人きりの恐怖心に押しつぶされそうだった。
ふとヘッドライトの明かりの形が歪にゆがんだ。
ライトの光が届くギリギリのところに人影らしき姿があらわれた。
おそらく沙羅が戻ってきたのだ。そうに違いない…。
そう思った矢先、前方の人影が消えて、視界の右隅を何かがよぎった。
と思った次の瞬間、運転席の窓ガラスに女が走り込んできて激突した。
女は顔と手をガラスに張りつけて車内を覗きんでいた。
血走った目が狙いを定めるようにギョロギョロと動いて望月を睨みつけた。
「うわぁぁぁぁ!」
望月は絶叫して助手席の方に身体をよじって逃げようとした。
すると、今度は助手席のドアがいきなり開いた。
「やめろぉ!」
望月は頭を抱え込んで声を限りに叫んだ。
「望月さん!私です、浦田です」
微かに目を開けると助手席の開いたドアから沙羅が望月の顔を覗いていた。
「何かあったんですか?」
望月は沙羅を突き飛ばす勢いで車外へ降りた。
「でたんだ!女が!君が言ってた覗く女!今確かにそこに!」
だが、女の姿は影も形もなく消えていた。
すると沙羅は一瞬微笑んだように見えた。
「でたんですね……」
「もう無理だ。もうできない!」
望月は沙羅にもらった現金を引っ掴んで沙羅に押しつけた。
「金は返す、俺は降りる」
「巡礼地はあと1カ所あります」
望月はタクシーのキーを外して沙羅に投げ渡した。
「好きにこの車は使っていい!俺は降りる!」
「困ります。あなたがいないと」
「は?」
「この巡礼は私とあなたが揃ってこそ意味があるのです。ほら、見てください」
そう言って沙羅はドロにまみれた化粧品を見せた。
「見つけました……こんなに順調だったことは今までありませんでした。やはり望月さんは何か持ってるんです」
「イヤだ!絶対に!君はおかしいぞ。何のためにやってるのか知らないけど、 心霊スポットの巡礼なんか、普通じゃない」
「……もう少しでわかりますよ 。何のための巡礼なのか」
表情はヘッドライトの影になってうかがい知れないが、沙羅の声色に鋭いモノが混じった気がした。
「とにかく俺は降りる。もう付き合いきれない」
「そうですか、では最寄り駅まで乗せていただけませんか?ここからではさすがに帰れませんので……それからお金はどうかお持ちください。ここまでお付き合いいただいたお礼です」
「……駅まで送れば解放してもらえるんだね?」
「はい、すみませんでした。巻き込んでしまって」
望月は沙羅が差し出したお金を受け取った。

数分後。タクシーは駅に向かって山道を勢いよく下っていた。
一刻も早く終わりにしたくて望月は自然とアクセルを深く踏み込んでいた。
あとは沙羅を駅まで送り届ければ望月の役目は終わりだ。
60万円もの大金が懐に入ってくる。
それまでの辛抱だ。
望月は自分に言い聞かせた。
山間部の道路が終わり市街地が見えてきた。
車通りも多くなってきた。
「望月さん……」
「はい?」
「最後に一つだけ物語をお話してもよろしいですか?ある女性の物語を」
そう言って沙羅は最後の物語を語り出した。

「……その女性には幼少期から不思議な力がありました。失せ物を見つけたり、天候をピタリと当てたり。年齢を重ねるとその力はますます強くなり、人の不幸を予言したり、心を読んだりすることまでできるようになりました。ですが、力が強まるほど周囲の人たちは女性を気味悪がり遠ざけていきました。女性がこの世のものでない者達とあまりに近かったからです。誰もが死を恐れます。家族も例外ではありませんでした。資産家の家に生まれた女性は半ば幽閉されるように世間から隔絶されて青春時代を過ごしました。女性はずっと孤独でした。それでも、女性は自分の力に強い誇りを持って生きていました。いつかこの力が人助けに繋がる日が来る、そう固く信じていたのです。そんなある日、女性はSNSに投稿された3つの怪談話に心を動かされます。『家を叩く音』、『トンネルで鳴る鈴』、『覗く女』の3つです」

「それって……」

「えぇ、まさに私と望月さんが巡礼してきた3カ所のスポットにまつわる怪談話です……女性は考えました。自分が気になるのは理由がきっとあるはず。一見、無関係のように見えるその3つの怪談には密かな繋がりがあるのではないか、と。しかし、新聞やネットで調べただけでは怪談話を繋げるものがなんなのかはわかりませんでした。そこで、女性は3つの怪談の舞台となっている現場を訪れて自分で調べてみようと思いました。 自分の力が役に立つことを証明したかったのかもしれません。
女性は、駅で出会ったタクシーのドライバーさんに事情を話して、それぞれの現場に向かってもらう約束を取りつけました。
今まさに私たちがやっているのと同じように彼女も巡礼を行ったのです。
長い移動時間、女性は3つの怪談話とその関連性を探していることをタクシーのドライバーさんに話しました。
すると、ドライバーさんは親身になって女性の話を聞き、調査を手伝うと言ってくれました。
孤独に生きてきた女性にとって、それは嬉しい申し出でした。
……女性はドライバーさんに協力してもらって3つの現場を見て回り、一つの結論を導き出しました。
3つの怪談話の繋がりは怪異を起こしているのが殺人事件の被害者だということだったのです。
一人目の被害者は、犯人から逃げようとして近くにあった家に逃げ込み住人に助けを求めようとして壁や窓ガラスを一生懸命に叩いた……
二人目の被害者は、犯人から逃げようとしてトンネル付近で車にはねられ引きずられて亡くなってしまった……
三人目の被害者は、S山の中腹の駐車場で殺され現場付近で犯人をいまだに捜している……
女性には、3つの事件が全て同じ犯人の犯行ではないかと思えてなりませんでした。
特殊な力を持つ女性が3つの怪談の関連性が気になったわけもそれなら説明がつく気がしたのです。
つまり、世間に露見していない同一犯による3件の連続殺人事件があるということです。
しかし、女性は、もう一つの繋がりを見落としていたことに最後になって気がつきました。
駅から離れた住宅、トンネル、山の中腹にある駐車場……3つの現場はどれも歩いていけるような場所にはありませんでした。
だとしたら、3人の被害者はどうやって現場まで移動したのか。
それは事件を読み解く大事なキーだったのです。
答えはすぐ目の前にありました……。
それら全ての推理を女性は運転を買って出て調査まで手伝ってくれたドライバーさんに話して聞かせていました。
女性は最後の最後に自分の力の呪わしい一面を思い知らされることになります。
知らず知らずに引き寄せてしまっていたことに気がついたのです。
誰も気づいていなかった関連性に気づき、それを決して話してはいけない相手に話していたことに……」
望月は返す言葉に詰まった。
沙羅が話した物語が意味するところはつまり……。
沙羅はこの話をするために望月のタクシーをわざわざ選んだということか。
「望月さん、謝らないといけないことがあります」
冷たく刺すような口調で沙羅が言った。
「実はとっくに到着していたんです、4ヵ所目の巡礼地に。4カ所目は、このタクシーそのものなんですよ……」
そう言って沙羅は青や赤の飾りがついた和柄の髪留めを見せてきた。
「座席の隙間で見つけました……これが誰のものか、わかりますか」
望月は黙った。何を返せばいいのかわからなかった。
どうりで他のタクシーに乗り移らなかったはずだ。
タクシーを使った4つの聖地巡礼……。
全てに意味があったのだ。
沙羅にとっては、このタクシーでなくてはならなかった。
全て計画だったというわけだ。
だが、その話を聞いて、望月がどう動くと沙羅は思っているのだろうか。
望月をわざわざ巻き込んだわけがわからない。
バックミラー越しに沙羅の顔をうかがう。
沙羅の心のうちははかれない。
怒りか、悲しみか。感情がまるで読めない。
車内を沈黙が支配した。
緊張の糸は張り詰め、いつ切れてもおかしくなかった。
「……どうしてその話を俺に?」
望月はようやく口から言葉を絞り出した。
「聞いて欲しかったんです……あなたに」
望月は困惑した。
何を語るべきか、何をすべきか、いくつも頭をよぎるが、
そのどれ一つとして形としては結ばれない。
頭の中が真っ白になった。
その時、望月の目に、前方の建物が留まった。
望月は直前でハンドルを左に切ると、その建物の玄関前に乗りつけた。
そこは警察署だった。
望月は急いで車を降りると立ち番の警察官のもとに駆け寄った。
望月の慌てた様子に「どうしました?」と警察官の方から声をかけてきた。
「あの女性が……」と振り返ると、沙羅の姿は消えていた。
乗ってきた時と同じく風のように沙羅は去ってしまった……。

……もうすぐ夜が明ける。
望月は泥のようにヘトヘトに疲れていた。
今すぐ家に帰ってお風呂につかって全てリセットしたかった。
だが、まだやるべきことが残っていた。
望月はタクシーを運転してある場所に向かった。
シャッターが閉まったガレージがヘッドライトに浮かび上がった。
横にある母屋に電気がついて、宗方が出てきた。
「望月か?……どうした」
「すいません、連絡もせず急に」
「いや、別にいいけどさ」
「先輩に聞きたいことがありまして」
「なんだよ改まって」
「ひと月前、俺が個人タクシーを始める相談をしたら、すぐにこの車両を安く譲ってくれましたよね」
「あぁ」
「俺の前に誰が乗ってたんですか?」
「なんだよ、急に」
「大事なことなんです。教えてください」
「誰って……いや顧客情報だし。教えられるわけないだろ」
「先輩が自分で使ってたんじゃないですか?」
宗方は黙った。その沈黙が答えのような気がした。
「このタクシーが殺人事件に使われていた疑いがあるんです」
「は?まさか……何言ってんだお前」
望月は3つの怪談話について宗方に説明した。
ほとんど沙羅が語った通りに。
「お前、そんな話を本気で信じてるのか。頭おかしい女の妄想だろ」
「先輩。なんでFトンネルに来た時、あんなに怯えてたんですか?」
「いや、それは色々事件の噂がさ」
「いえ事件なんてないんです。さっき警察の人にも聞いて確認しました。その3つの場所で何か事件があったかって。何もありませんでした。もちろんFトンネルでも」
「じゃあ俺の勘違いかな……いや、むしろ事件ないならいいじゃねえか」
「でも、こんな張り紙を警察署で見つけました」
望月は3枚の張り紙を順番に宗方に見せていった。
失踪者の情報を求める家族の張り紙だ。
事件は一つもなくても、この近隣で3人もの若い女性が行方不明になり、家族から捜索願が出されていたのだ。
「……先輩何か知ってるんじゃないですか?」
「お前、まさか俺のこと疑ってんの?」
宗方は望月に詰め寄っていった。
「違うならどうして行方不明者の髪留めがタクシーにあったのか説明してください、お願いします」
次の瞬間、望月は頭に熱いものを感じた。
視界がグルリと回って地面に頬がぶつかった衝撃があった。
ぼんやりとする視界の片隅に、右手にバールを握る宗方の姿が見えた。
しまった、迂闊に近づきすぎた……。
望月の視界はブラックアウトした。

「……さん……望月……さん」
……望月は気がつくと縄でしばられてよこたえられていた。
頭が割れるように痛い。
どうやらガレージの中のようだ。
工具や車のパーツが並んでいる。
混濁した意識の中、望月の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。
あの声は……。
辺りを見回して、望月は衝撃の光景を目の当たりにした。
ボロボロの布切れの上に力なく横たわる女性の姿。
……間違いなく浦田沙羅本人だった。
だが、横たわる沙羅はさっきまで行動を共にしていた沙羅とはまるで別人だった。
髪の毛はボサボサで全身が汚れており、傷だらけで衰弱しきっていた。
足には鎖がつけられて逃げられないようになっていた。
そうか……。
4つ目の話は浦田沙羅自身の話だったのだ。
沙羅は3つの怪談話の背後に潜んでいた繋がりに気づいてしまい、宗方につかまって、この場所でずっと監禁されていたのだ。
だとしたら、望月がタクシーに乗せたのは沙羅の”思念”ということになるのだろうか。
沙羅はその特殊な力で望月の前に姿を現し、宗方に殺された被害者達が殺害された場所を巡礼し遺留品を回収していったのだ。
あまりに非現実的なことを連続して経験しすぎたせいか、望月は幽霊や思念の存在を自然と受け入れている自分に気づいた。
「……浦田さん!」
呼びかけるが沙羅は反応しない。もう手遅れなのか。
「浦田さん!浦田さん!」
やはり反応はない。
望月は再び這って行って工具類の中を探った。
のこぎりを見つけ後ろ手で縄を切っていく。
数分で縄は切れた。
自分の拘束を解くと入口に置かれていたハンマーで沙羅を拘束する鎖を破壊した。
望月は沙羅を抱きかかえ、「浦田さん!浦田さん!」と呼びかけた。
すると、沙羅がぼんやりと薄目を開けた。
望月に気づくと、そのやせ細った手を望月の方へ必死に伸ばしてきた。
よかった……生きていた……よかった……。
望月は胸に温かいものが広がるのを感じた。
「望月……さん……」
カサカサに荒れた唇から微かに声が漏れ聞こえた。
「……ハコ……は?」と沙羅は言った。
「ハコ……箱って、あの箱?」
寄木模様の沙羅が持っていた箱のことだと思った。
沙羅は力なくうなずいた。
「タクシーの後部座席に置いたままだ……」
すると沙羅は満足気にうなずいたように見えた。
どうしてこの状況で箱のことなど気にするのだろう。
望月は理解できなかった。
被害者の遺留品を集めたことに何の意味があるのか。
「ちくしょう、ちくしょう、あー、面倒くせぇ」
ガレージの暗がりから宗方の声が聞こえた。
「なんなんだよ、本当。うぜぇな」
独り言のようだ。
宗方はいらだちをぶつけるようにガレージ内のモノを足で蹴り飛ばした。
望月の全く知らない人間がそこにいた。
ブランク期間があったとはいえ高校からの付き合いだった。
宗方には脱サラして個人事業主になるのを少なからず後押ししてもらった恩がある。だが、それは異常犯罪が露見しないための証拠隠滅の一環だったのだろう。
「とりあえず前みたいに埋めるしかないか」
宗方は手に大きなナタを持っていた。
「やるしかねぇよな……やるしか……」
ボソボソ繰り返しつぶやきながら、
まるで幽鬼のようにフラフラと近づいてくる。
完全に狂っているように見えた。
宗方は突然、ナタを思い切り振りかぶって望月に襲い掛かってきた。
初撃はとっさの横跳びでよけたが、四つん這いになったところを思い切り蹴り上げられた。
宗方は倒れた望月の上に馬乗りになって「ヒヒ」と笑いながらナタを振り上げた。
(イヤだ……死にたくない……)
目を瞑ったその時だった。

トン……トン……トン…

どこからともなく、ガレージの壁を叩く音が聞こえた。
「誰だッ!」
宗方が敏感に反応してナタを振り回して空を切った。

ドンドンドン!

今度はガレージのシャッターを強く叩く音がした。
「出てこい、オラ!」
宗方は見えない敵と戦うように空中にナタをふるっている。

ドンドンドン!

今度はさらに強くガレージ裏の窓ガラスの方の壁を叩く音がした。
「誰だって言ってんだよ!」
宗方は勢いで窓ガラスに向かった。
すると、突然、女性の顔が窓ガラスの向こうに現れた。
憤怒の顔でガラス越しに宗方を睨みつけている。
「てめぇ、もう1回殺すぞ!」
宗方は叫んでナタで窓ガラスを割った。
床にガラス片が散らばった。
宗方は、正気を失って、明らかに怯えていた。
その時、シャンシャンシャンと鈴の音が響いた。
「ひぃ!」
宗方はパニックを起こして甲高い声をあげて走ってガレージを出ていこうとした。
宗方が逃げようとするのを見て、望月は足に飛びつこうとしたが指の先がかかっただけで、手は届かなかった。
表に飛び出した宗方は望月が乗りつけたタクシーに乗り込み逃走した。
走り去る車の音が、どんどんと遠ざかっていく。
助かった……。
生き残った安堵で腰が砕けた。
だが、同時に、犯人の宗方を逃がしてしまった忸怩たる想いがじわりじわりと望月を苦しめた。
もっと早く望月が宗方の正体に気づいていれば、救えた人がいたのではないか。
悔しさがとめどなくこみあげてくる。
「望月さん……」
沙羅の掠れた声がした。
「そんなに……悲観すること……ないですよ……」
またも沙羅は望月の心のうちを読んだように言った。
そして不敵な笑みを浮かべたように望月には見えた……。

……その頃、宗方はタクシーで西に向かって逃走していた。
宗方の殺人願望は小さい頃からのものだ。
自分でも病気だと思っていた。
思春期から20代にかけては自分の異常さを否定したくて文献などを読み漁ったが、30代に入ると自分のまま生きられない息苦しさを否定するようになった。
やがて、気づかれなければいいのだという達観に至った。
社会に溶け込み、誰にも悟られぬよう細心の注意を払って犯行を重ねてきた。
それでバランスが取れていたはずだった。
だが、いずれはこんな日が来ることを覚悟していた。
だからある程度のシュミレーションはできてある。
逃走用の資金は用意してある。海外に高飛びするのが安全か。
運転しながら宗方はめまぐるしく今後のことを頭の中でプランニングした。
心配ない。逃げ切れる自信はあった。
しかし、今まで誰にも気づかれず、こんなにうまくやっていたのに、どうして急に宗方の犯行に気づかれたのか、それだけが不思議でならなかった。
証拠も何も残していないはずなのに、やつらはどうやって宗方までたどり着いたのだろう。
その時、タクシーが何かに乗り上げ、車のコントロールを失いかけた。
慌ててブレーキをかけて停止させる。
衝撃でエンジンが止まってしまい、かからなくなってしまった。
ボロ車め。くそ、こんな時に……。
あの女が3つの怪談を結び付けたりしなければ、このタクシーを望月に譲ることもなく、宗方の趣味のための移動車として今でも使い続けていただろう。
まぁすぐ直せばいいだけだ。
宗方は工具を持って外に出た。
一体、何をひいてしまったのか。
這いつくばって車体の下を確認してみたが何も見えなかった。
その時、車の下から女性の腕が伸びてきて宗方の腕をつかんだ。
ものすごい力で車の下に引きずり込もうとしてくる。
「……離せッ!」
なんとか腕を引き剥がした。
なんなんだ、今のは……。
宗方は慌てて車内に戻った。
冷や汗がすごい。
すると、いきなり横手から女が走り込んできてバンと窓ガラスに張り付いてきた。
宗方は恐怖で心臓が飛び出そうだった。
女は血走った目でじろじろと車内を覗いている。
「なんなんだよ、お前!」
宗方は女の顔に見覚えがあった。S山の駐車場で殺した女だ。
だとしたら幽霊だとでもいうのか。
宗方が助手席の方に逃げると、助手席の窓ガラスにもう一人の女が現れた。
今度はFトンネルの近くで殺した女だ。
逃げたので車ではねてトンネル内をひきずってやったのだ。
さらにフロントガラスの向こうに、もう一人の女も現れた。
F市で殺した女だ。
危うく民家に逃げ込まれそうになったが庭で殺して車まで運んだのだ。
宗方が手をかけた3人の被害者がタクシーを取り囲んでいた。
女達はじりじりと距離を詰めてくる。
逃げ場はどこにもない。
「来るな!やめろ!やめろぉぉぉぉ!」
宗方の叫び声は3人の女に覆いかぶさられて搔き消された。
後部座席に置かれた寄木模様の箱だけがその様子を見ていた。

宗方のガレージは警察や救急隊員でごった返していた。
望月は、警察官達が無線で、近くの路肩に停まったタクシー車内から男性の遺体が発見されたという交信をしているのを聞いた。
詳しくは聞こえなかったが、すいぶん凄惨な殺され方をしていたらしい。
応急の手当てを受けて沙羅が担架で救急車に運ばれていくのが見えた。
望月は担架に乗った沙羅のもとに向かった。
時間はかかるが回復はするだろうと沙羅の容体を確かめた救急隊員の人が言っていた。
気を使って救急隊員の人達が二人きりにしてくれた。
すると、沙羅は絞り出すように言った。
「あなたのお陰です……ありがとう……ございました……望月さん」
「早く元気になってください」
「…何か……私に聞きたいことが……あるんですね?」
沙羅はお見通しだった。
「一つだけ教えてください……巡礼は、あの男に裁きを与えるためだったんですか?」
おそらく沙羅は、巡礼により被害者達の報われない思念を集め宗方に向かわせたのだろう。沙羅が言ったわけではないが望月はそう解釈していた。
しかし、沙羅は首を振った。
「いえ……裁いたのは私ではありません……犯した罪が彼を裁いたんです」
罪が裁く……確かにそうかもしれない。
「……何者なんですか?あなた」
すると「ふふ」と沙羅は笑った。

#691

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