体験者:Tさん(30代男性・会社員)
関西在住の会社員・Tさんは、ある時、仕事の出張で大宮を訪れた。1泊2日の予定だった。
ところが、順調に2日目の仕事を終え、後は帰路につくだけだったのに、クライアントに誘われた飲み会で少し飲み過ぎてしまい、新幹線の終電を逃してしまった。
仕方なく大宮でもう一泊することにしたのだけど、出張経費をいたずらに増やすわけにもいかず、安上がりなホテルを探すことにした。
そして駅から15分ほど離れた場所に価格が安そうな外観のホテルを見つけた。
入ってみると、外観通りというか、古びたホテル で、なんともいえないこもった臭いがした。
フロントには50代くらいの陰気な男性がいて、部屋が空いてるか尋ねると、ボソボソと聞こえない声で何か言って鍵を乱暴に渡してきた。
普段なら絶対泊まらないようなホテルだが、背に腹はかえられない。
一泊寝るだけの我慢だと思ってTさんは部屋に向かった。
案の定、部屋も値段どおりというか、狭い上にカビ臭い嫌なニオイが立ち込めていた。
荷物を置くのも躊躇われるくらい不衛生そうなカーペット、黄ばんだ壁紙、ヨレヨレのベッドシーツ。
気になるところしかなかったが、不快感をなんとかこらえて、Tさんは注意をそらそうとテレビのリモコンを手に取った。
しかし、電源が入らない。
リモコンの電池切れかと思って本体の電源スイッチを押してみたが、それでも電源が入らない。
コンセントにプラグは入っている。
舌打ちしたい気持ちを抑えた。
このまま我慢して寝てしまう選択肢もあったが、少し仕事で昂っている気持ちを鎮めないことには寝つけそうになかった。
Tさんは仕方なく固定電話の4番を押してフロントを呼び出した。
数コールで電話はつながった。
ところが相手はうんともすんともしゃべらない。
あの陰気なフロント係の顔が目に浮かんだ。
なんてひどいホスピタリティだ、、、
「あの、テレビの電源が入らないんだけど」
言葉に不平の気持ちを乗せて伝えたのだが、フロント係は黙って何も返事をしない。
そのまま5秒ほど時間が流れた。
さすがにおかしいと思って、口を開きかけた途端、「・・・うかがいます」と消え入りそうな声が微かに聞こえた。そして電話は切られた。
自然と溜息が出た。
安いから我慢していたが、あまりにサービスが酷すぎる。
ちょっと一言いってやろうか。
やり場なくモヤモヤした気持ちで3分ほど待った。
まだフロント係はこない。
遅くないか。
再度電話に手を伸ばしかけた時、唐突に耳をつんざくほどの怒鳴り声が聞こえた。
Tさんは心臓が飛び出るかと思った。
見ると、TVの電源が入っていて、深夜ドラマが流れていた。劇中の登場人物が怒りの台詞を吐いていた。慌ててリモコンで音量を下げた。
フロント係は結局現れなかったが、配線か何かを直してくれたのか。
だとしても、一言声をかけるものじゃないのか、普通。
またモヤモヤとした怒りが湧いたが、こんなところでつまらない揉め事など起こしたくない。
しばらくTVのバラエティ番組をみて、頭をからっぽにして気持ちを静めた。
30分ほどTVを見ると、心地よく眠気を感じ始め、Tさんは照明を消して寝ることにした。
TVの電源を落として、ベッドに横になり照明のスイッチをオフにした。
その瞬間、パシュンとヒューズが飛ぶような嫌な音がした。
そして、照明が消えずに明滅し始めた。
何度かスイッチのオンオフを繰り返したが、何も変わらない。
チカチカと照明は暗くなったり明るくなったりを繰り返している。
いっそ電源が完全に落ちてくれればよなったのに、これではかえって寝ることもできそうにない。
再び4番を押してフロントに電話を入れた。
繋がったが、またもフロント係は無言だった。
Tさんは苛立ちが抑えられず、「電気故障してるよ!早く直してよ!」と強めに訴えた。
しかし、フロント係はまたもすぐに返事をせず、5秒ほど無言の時間があって、「・・・うかがいます」と言って一方的に電話を切った。
我慢すること5分。
照明の明滅は急におさまった。
なにが、うかがいます、だ。
トラブルを解決したからそれでいいとでも思ってるのか。
ここまで迷惑をかけておきながら謝意の一言も告げにこないとは。
謝って欲しいわけではなかったが、対応の杜撰さには腹が立って仕方なかった。
クレームの一言でも入れたいところだが、気持ちが疲れ切っていて、そんな気にならなかった。
Tさんは、気を取り直してシャワーを浴びようと思って、ユニットバスのドアを開けた。
暑いお湯をおもいきり浴びれば気持ちもリセットされるだろう。
頭にシャワーのお湯をかけて髪をガシガシ洗うと、シャンプーに手を伸ばした。
ところが、いくらプッシュしてもカスッカスッと音がするだけで中身が出てこない。
アメニティのシャンプーは空だった。
その時、Tさんの中で何かが弾けた。
ユニットバスを飛び出すと、身体もろくに拭かず、空のボトルを手にフロントに走った。
Tさんはフロント係の男性に、これまでのホテル側の対応のひどさについて一通りまくしたてると、空のボトルをつきつけた。
男性は困惑したような顔つきでボトルを受け取ると、ぼそぼそと口を開いた。
「ご不快なお気持ちにさせてしまい大変申し訳ありません・・・ただ、お客様からのお電話は一度も受けてはいないのですが」
Tさんは呆気に取られた。この後に及んで誤魔化そうというのか。
「何をいってるんだ、私は確かに部屋の電話で4番を押してフロントを呼び出した!」
すると、フロント係はさらに困惑の度合いを強めた顔をして言った。
「お客様。フロントの呼び出しは5番です。4番ではありません」
フロント係は諭すように案内のプレートを示した。
そこにははっきりとフロント呼び出しは5番と書かれていた。
言われてみると、フロント呼び出しが4番だという表記を見た覚えがなかった。
だが、Tさんはなぜか4番だと思いこんだ。
そして電話はつながった。
一体、どこに・・・?
「・・・うかがいます」
電話口で聞いた、生気のないあの声は・・・?
ふいに、Tさんは身震いをした。
濡れた身体を拭かなかったせいか、それとも怖気のせいか。
フロント係は言葉を失ったTさんに替えのシャンプーのボトルを押しつけてきた。
この話には後日談がある。
後日、Tさんは会社の同僚に、この日の怖い体験について語って聞かせた。
身振り手振りもまじえて詳細に説明するTさんは、固定電話で4番を押してフロントを呼び出した場面にくると、自分のスマホで実際に4番を押して電話をかけてみせた。
すると、数コールで電話がなぜかつながった。
「・・・うかがいます」
電話口の相手は生気のない声でそう告げて電話は切れたという。
この話を読んだあなたも安易に4番を押して電話を
かけないよう注意した方がいい。
繋がるはずのないところに本当に繋がってしまうかもしれない、、、
Tさんがその後どうなったかはわかっていない。
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