K下さんは、朝目覚めて、おや?と思った。
寝ぼけ眼でベッドから抜け出し、覚束ない足取りでドアまで進んで、ノブに手をかけた時だった。
ドアが開かない・・・。
何度ドアノブをガチャガチャ回しても開かない。
そんなこと、ありえるはずがないのに。
なぜなら、そもそもK下さんの寝室のドアには鍵がない。
シンプルな開き戸で、寝室からはノブを捻って押せば開く。
そのはずなのだが、なぜか開かない。
廊下にモノを置いたりもしていない。
建てつけが悪くて開かなくなっているわけでもない。
どちらかというとドアと壁の隙間の方が目立つくらいだ。
なのに、開かない。
接着剤や磁石でくっつけてしまったみたいにドアがビクとも動かない。
K下さんは混乱した。
しかも、こんな時に限って、寝る前にスマホをリビングに置きっぱなしにしてしまった。
対策をネットで調べたり、誰かに連絡して助けを求めることもできそうにない。
10分ほどガチャガチャと開かないドアと格闘したが無駄だった。
全く開く気配がない。
なぜだかわからないが、ドアはどうしても開かない。
K下さんは、ひとまずベッドに戻ることにした。
どうしようか考えている間に再びうとうとと眠りに落ちてしまった。
幸い、今日は週末で仕事は休み。
急いで起きる必要はなかった。
2時間後、K下さんは目を覚ました。
喉がカラカラに乾いていた。
少し寝過ぎた。
慌てて起き上がり、ドアに向かうが、
状況はよくなっていなかった。
やはり、ドアが開かない。
再び開かないドアと格闘すること数十分。
どうしてもドアを開けることはできなかった。
喉の乾きもあって、K下さんは焦りを感じはじめた。
どうしてドアが開かないんだ、、、
このまま部屋から出られなかったらどうしよう、、、
心細く不安になった。
押してもダメ、引いてもダメ、何かつかえているモノも見つからない。
いっそ壊そうかと叩いてみたら拳を痛めただけだった。
きっとすぐにどうにかなるだろうと楽観的に考えていたが、いよいよK下さんは焦り始めた。
考えうる手を尽くしてみたが、ドアを開ける手段は見つからなかった。
閉じ込められた?
自分の部屋に?
なんでこんなことに、、、
苛立ちと怒りが湧いてきた。
その時、K下さんの目に光が差し込んできた。
カーテン越しに太陽の光が入り、線上に部屋を明るくしていた。
窓・・・。
K下さんは部屋を出る道を見つけた。
だが、K下さんが住んでいるのはタワーマンションの24階だ。
窓を開けると強い風が吹きつけ、眼下に豆粒のように通りをいきかう人や車が見えた。
バルコニーはない。
あるのは数十センチ程度の落下防止の足場のようなものだけだ。
その足場を伝っていけば隣のリビングに出られる。
だが、この強風の中、高所の狭い道をバランスを崩さずに歩けるものなのか。
意識すると、目が眩むような高さに足元がガクガクと震え出した。
映画やドラマでは何度となく見たことがある脱出の光景だが、自分が実際にやるとなると話は別だ。
もし足を滑らせたら・・・。
想像は悪い方にばかり膨らんだ。
とてもではないがスタントのようなことをして隣のリビングまで渡れる自信はなかった。
「おーい!誰か!」
K下さんは声を限りに叫んでみた。
隣室の住人や地上の人、誰かしら声を聞きつけてくれるかもしれない。
しかし、何度助けを求めて叫んでも、反応はなかった。
その時、K下さんは思い立ち、メモ用紙に自分がおかれた状況と部屋番号を書いて窓からばら撒いた。
紙はヒラヒラと地上に向かって落ちていき、やがて見えなくなった。
・・・きっと誰かがメモに気づいてくれるはずだ。
K下さんは信じて待った。
だが1時間、2時間、3時間。
待てども待てども助けが来る気配はなかった。
やがて、空は藍色に染まり、日が暮れはじめた。
いつまでこの状態が続くのか。
水を飲まなくて人間が生きられるのは3日程度だとどこかで聞いたことがある。
3日のうちに事態は好転するのか。
もしずっとこのまま部屋のドアが開かず、出られなかったら、、、
精神的な疲労は限界に近づいていた。
やるしかないのか、、、
K下さんは覚悟を決めて、窓枠に手をかけて身を乗り出した。
落ちれば間違いなく死ぬ。
だが、渡って隣に移るしか方法はない。
通りを豆粒大の人が行き交うのが見える。
吹きつける風から死の臭いがするような気がした。
心臓が早鐘を打ち呼吸が苦しい。
だが、いくしかない。
足を外に向けて踏み出した。
その時、ふいに強風が吹きつけ、バランスを崩して身体をグイッと前に引っ張られた。
上下の感覚を失い、宙を舞った気がしたが、慌てて窓枠に伸ばした右手のおかげでかろうじて落ちずに戻ってこられた。
危うく死ぬところだった。
死への恐怖が一気に全身を駆け巡りK下さんは窓枠から降りた。
無理だ・・・。こんなの無理だ。
足の震えが止まらない。
這いつくばるようにベッドまで戻ると、
K下さんは、あることに気がつき唖然とした。
ドアが開いている・・・。
さっきまであれほど開かなかったドアが。
それもちょっと開いている程度ではない。
全開だ。
明らかに誰かの意志のもとで開けられた開き方だった。
しばらくK下さんは呆然として立ち上がれなかったが、
やがて起き上がって部屋の外に出た。
廊下には何ら異常はなく日常があるだけだった。
K下さんは、リビングで暖かいコーヒーを飲み落ち着いて振り返ってみた。
一体、何が起きたのか。
あれが単なる偶然や物理的な事故だとはK下さんにはどうしても考えられなかった。
何かの超常的な力がドアを開かなくさせていたとしか思えなかった。
一体、何のために。
K下さんを窓から転落させて死へ誘うため・・・。
オカルトめいた話を信じるタイプではないが、どうしてもそんな気がしてならなかった。
それからというもの、
K下さんは二度と寝室のドアを閉めなくなったという・・・。
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