【怖い話】仮死451

妻と娘が、私の遺体を前にすすり泣く声が聞こえる。
「どうして」「お父さん・・・」
2人の嗚咽を聞くにつれ、申し訳なさが募る。
娘の涙が、私の頬に落ちてきて、たまらず叫び声をあげたくなる。
身動きはできず、私には何もできない。
しかし、実は、私はまだ死んではいない。
いわゆる、仮死状態だった・・・。

・・・話は数週間前に遡る。
私は、これでも、某アプリゲームを開発する企業のCEOをしている人間だった。
経営は順調で、未来は明るいことを微塵も疑ってなかった。
ところが、だ。
時勢にのってSNSなどに手を出したのが運のつきだったのかもしれない。
粘着質なアンチにつきまとわれ無視をし続けていたのだが、ある日、そのアンチアカウントが私の過去の悪行を暴露すると投稿した。
度重なる不貞で妻子を泣かせていることや、パワハラで社員を自殺に追い込んだことがあるなど、どれも根も葉もないデマだったのだけど、過去の浮気相手や自殺した社員とのLINEのやりとりを本物っぽく作り込みSNSに投稿されてしまい、私の周りの近しい人間以外は本物の暴露だと信じこんでしまった。
それでも、関係者にだけ事情を説明し、当のアカウントに関しては無視を続けていたのだが、ネット記事と週刊誌に槍玉にあげられ、ベンチャー企業のトップが放埒経営と公私混同で好き放題していると面白おかしく書き立てられ、私のSNSアカウントは荒れに荒れ、会社には問い合わせが殺到した。
いくつかのクライアントは、口では同情を示しながら、容赦なく取引を切ってきた。
とても仕事などできず、私は雲隠れするしかなかった。
妻と娘は事情をわかってくれているとはいえ、申し訳なくて仕方がなかった。
妻は近所の人達から口さがない陰口を叩かれ、娘は学校でいじめられた。
人生でこれほど自分が無力だと感じたことはなかった。
・・・私は酒に逃げた。
馴染みのバーで連日フラフラになるまで酔っ払った。
自宅にはメディアの人間が張りついていたが、この店はまだ知られていない。
私に残されたわずかな聖域だった。

ある日、そのバーで、一人の男性が私に話しかけてきた。
一瞬、例の1件で絡まれたのかと思ったがそうではなかった。
男性は、よく店で私を見かけるので声をかけたという。
私と同じく30代後半で、かなり高級そうなオーダーメイドのスーツを着ている。聞けば医師だという。
男性は、Nと自分の名前を名乗った。
しばらく、とりとめもない世間話をしているうち私たちは意気投合した。
なによりNさんは話がうまかった。
オールジャンルで造詣が深く、私がどんな話を振っても、的確な返事が返ってくる。
リズムよく会話のキャッチボールができる感じがなんとも心地よかった。
気づけば、私は、最近巻き込まれている例の1件をNさんに打ち明けていた。
Nさんは、私見をさしはさむわけでもなく、真摯な態度で私の話を聞いてくれた。
「本当にもう、死にたいくらいですよ」
珍しく私は弱音を吐いた。
すると、Nさんは黙ってお酒を一口飲んで、こう答えた。
「本当に死んでみます?」
「え?」
聞き間違いかと思って、私は聞き返した。
「もし、自分を死んだことにする方法があるとしたら、どうします?・・・この後、お時間があれば、少し付き合っていただけませんか。お見せしたいものがありまして・・・」

Nさんに連れてこられたのは小さな工場だった。
中は荒れていて廃業した工場なのかと思ったが、よく見ると、最新の医療機器や実験機器が揃えられていて、稼働中なのだとわかった。
私は、奥の一室に案内された。
ステンレスの寝台に一人の男性が寝かされていた。
いや、よく見ると、顔は青白くなっていて、すでに生き絶えた死体だとわかった。男性が繋がれた心電図は平行線を描いている。
「これって・・・・」
私が戸惑いの声を上げると、Nさんは手で制して時計を確認した。
「もう少しです。よく見ていてください」
何がもう少しなのかと思っていると、ふいに遺体だと思っていた男性が目を開けた。
私は驚きと恐怖で尻餅をつきそうになった。
男性は上半身を起こすと、首を回したり手首の感触を確かめている。
「おつかれさま」
Nさんが呼びかけると男性は薄く笑った。
心電図まで息を吹き返したようにピッピッピッと音を立て始めた。
「お客様をお待たせしているので後で。いつも通りデータを取っておいてください」
Nさんは男性が繋がれた器具を外しながらそういった。
男性は寝台から降りると向こうの部屋へ歩いていった。
「一体、これは何ですか?あなたは何者なんですか?」
すると、Nさんは不敵な笑みを浮かべて、黄色い液体が入ったアンプルを私に見せてきた。
「ここは私の実験室でして。ある新薬の開発をしているのです」
「・・・何のクスリですか?」
「ヒトを仮死にするクスリ、ですよ」
「仮死・・・じゃあ、さっきの人は本当に死んでいたんですか?」
「ええ。肉体的には死んでいました。つまり、仮死状態です。仮死薬ができたのは実験の偶然の産物だったんですが、この薬には実に面白い特徴がありましてね、肉体は死んでいるのに脳の活動は機能したままなのです。なので、意識ははっきりしていて、周りの声や音は聞こえますし、触れられれば感触もあります」
「そんなことがありえるんですか?肉体は死んでいるのに?」
「普通はありえません。だから、私は思うのです。もしかしたら、この薬の真の効果は、肉体を仮死状態にして人間の魂だけを生かしておくことなのかもしれません」
魂だけを生かす薬。
そんな荒唐無稽な話があるのだろうか。
その気持ちが顔に出ていたのだろう、Nさんは「疑っておられるみたいですね」と言った。
「でも、薬の効果はお約束しますよ。私も自分自身で何度も試していますので。薬の効果はおよそ48時間。薬が切れれば肉体は元通り生き返ります。副作用もいまのところ見つかっていません」
「どうして、私にこれを見せたかったんですか?」
「死んでいなくなりたいというあなたのお気持ちを聞いたからです。この薬は毒物として検出もできないので、周りの人間に疑われることなく、『死ぬ』ことができるわけです」
「・・・」
「もちろん認可もおりてない薬ですし、公に売ることはできませんのでね。あなたのように裕福にも関わらず社会的な死を望む人にお声がけさせていただいているわけです」
「・・・」
「この薬を使えば、簡単に自分の死を偽装して、新しい人生を始められます。お一つ、いかがですか?」
「・・・いくらなんですか?」
すると、Nさんは、ニヤリと悪魔のような笑みを浮かべた。

こうして、私は、仮死薬を使って、『死んだ』。
妻と娘にあらぬ疑いをかけぬよう、2人が外出している時に薬を飲んだ。
おかげで、医師は疑うことなく、突発的な心筋梗塞と診断を下し、私の死亡認定をした。
身体は麻痺したように全く動かないのだが、周りの声や音は聞こえるし、網膜に入る微かな光の加減で近くの人の動きもわかった。
なんとも不思議な感覚だった。
妻と娘が私の遺体を発見し取り乱すさまを私はすべて聞いていた。
そして、今は、私の葬式を終えたところだった。
死んでから葬式までに私の前にはさまざまな関係者が顔を出した。
意外な人が私の死を悼んでくれたいっぽう、会社のCOOを任せていたAが「馬鹿な男だ」と吐き捨てたのは聞き逃さなかった。
死んでみて自分に人を見る目がなかったのを悟るとは皮肉なことだ。
葬儀が終わると私の遺体が入った棺に釘が打たれ、出棺となった。
火葬場に向かうわけだが、当然燃やされるわけにはいかない。
身体が動かないまま、意識がある状態で燃やされるなんて悪夢だ。
火葬場でNさんが私の遺体をピックアップしてくれることになっていた。
火葬場にはNさんの息がかかった人間しかいないらしい。
そのために高いお金を払ったのだ。
仮死薬の効果も、そろそろ切れる頃合いだ。

火葬場に到着すると控え室に運ばれた。
棺の釘が外される音がした。
「気分はどうですか?」
柔らかな声がした。Nさんだ。
私は答えを返そうとこころみた。
口が微かに動いた。
薬が切れ始めている。
やがて、氷が溶けるように、動かなかった手足に熱がこもっていくのを感じた。
目を開き、上半身を起こす。
寝過ぎた後のような気怠さはあったが、特に不調はない。
「ちょうどでしたね。さ、時間がありません。準備を始めましょう」
Nさんがいうと、周りのスタッフが私を棺から引っ張り出してくれた。
床に足をおろすと、まだ足元がふらついた。
Nさんとスタッフはストレッチャーに乗せた遺体を部屋に運び入れた。
私の代わりになる偽装用の遺体だという。
私と年代が近そうな男性だ。
「・・・誰なんですか?」
私は当然の疑問を口にした。
「解剖用の検体です。引き取り手のない犯罪者ですのでお気になさらず。お金さえ出せばいくらでも手に入るんですよ」
Nさんとスタッフは手際よく棺に偽装用の遺体を移すと、控え室から棺を運びだした。

しばらくして、私は、妻と娘が、私のものではない骨を拾うのを遠くから見つめていた。
申し訳なさと情けなさで叫びだしたかった。
2人が暮らしていくのに十分なお金を残しているとはいえ、家族を失ったのだという喪失感に打ちひしがれた。
目と鼻の先に2人はいるのに、とても遠くに感じた。
お骨拾いが終わる頃、Nさんが私のもとにやってきた。
「これであなたは晴れて別人として生まれ変わったわけです。おめでとうございます。新しい身分証ができるまでは一ヶ月ほどかかりますのでお待ちください」
「これでよかったんですよね・・・」
私はつぶやいた。
自分を納得させようとしているような口調になっているのが自分でもわかった。
家族と離れ離れになる選択を正しいと思えない気持ちが心にしこりとなって残っていた。
けど、妻と娘を巻き込んで、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
これでよかったのだ。
私は自分に言い聞かせるように心の中でつぶやいた。

それからはホテルを転々とする暮らしが始まった。
しばらく余裕で暮らせるくらいの現金はあらかじめレンタル倉庫に預けておいた。
私が死んだことになってからは、ネットでの誹謗中傷や煽る記事は嘘のようにピタッと止んでいた。
匿名で他者を陥れる人間も、それに乗じる連中も所詮こんなものだ。
私の死を悼む気持ちなどカケラも感じることなく、きっと彼らは次の攻撃対象を探してネットの世界を漂うのだろう。
勝手にやっていてくれ、と思った。

新しい人間として生まれ変わり、はじめのうちは、会社や家族の責任から解放され、他人の目に怯えなくてすむことに、肩の荷が降りた気持ちがなかったわけではなかった。
久しぶりにぐっすり眠れたりもした。
だが、数週間もすると、私は昔のことばかり思い出すようになった。考えることといえば妻と娘のことばかり。
夢にも2人が現れ私の手の届かない遠くに2人がいってしまい、汗だくで飛び起きることが何度もあった。
失ったものの大きさに私は苦しみ続けた。
どうしても2人の声が聞きたくて、家に無言電話をかけてしまったこともあった。
「もしもし」という妻の声に返事をすることができず、私はもどかしさで叫びたくなった。
私は生きている、そう伝えたかった。

私は、Nさんに連絡を入れた。
「もとの自分に戻るわけにはいきませんか?」
私は率直に相談した。
Nさんは電話越しに深いため息をもらした。
「それができないことは事前に了承いただいたはずですよね?契約書にサインしていただいたのをお忘れですか?あなたが実は死んでいなかったとわかったら、我々の秘密が暴かれるリスクがあるのです。そんなことを許すわけにはいきません。ご家族にあうことも家に近づくこともしないでください」
有無をいわさぬ口調だった。

しかし、ある日、私はどうしても我慢できず、気づけば妻と娘が住む家に足を向けていた。
会うことは叶わなくても、せめて遠くから一目見たい。その一心だった。
家まであと少しという時に、思わぬことが起きた。
公園で友達と遊ぶ娘の姿を見つけてしまった。
たまらず走り出しそうになるのをおさえ、私は木陰に身を潜め、変わらぬ娘の姿を見守った。
「・・・あなた?」
後ろから声をかけられ私は固まった。
振り返ると、驚きに目を見開いた妻の姿があった。
娘1人で遊ばせるわけないのは考えればわかることだった。
サングラスとマスクで顔は隠していたが、妻が私に気がつかないわけがない。
私は逃げ出そうと足を出しかけ、やめた。
サングラスとマスクを外して顔を見せた。
「やっぱり・・・、でも、どうして・・・」
妻はとまどって何を言えばいいのかわからないようだった。
それもそうだ。
死んだはずの旦那が目の前にいるのだから。
公園には保護者の目がたくさんあった。
「ここじゃまずい。xxホテルの1021号室に今夜来て欲しい」
私は、そう言って、駆け足で去った。
いますぐ振り返って妻と娘を抱きしめたい気持ちを抑えながら。

時計を何度も何度も確認しながら、私はホテルで妻を待った。
本当に来てくれるだろうか。来たらどう釈明しようか。
もしかしたら、死んだフリをしたことに腹を立てて来てくれないのではないかとだんだん不安になってきた。

21時を過ぎて、ドアをノックする音がした。
私は慌ててロックを外しドアを開け、言葉を失った。
立っていたのはNさんだった。
「困りましたね、あれほど家族には会ってはいけないと言ったのに」
Nさんは部屋に入り込み、後ろ手でドアに鍵をかけた。
「見張っていたんですか?」
「私はそれほど暇じゃありませんよ・・・クライアントから連絡がありましてね」
「クライアント?」
Nさんは私の質問には答えずノートパソコンをテーブルにセットした。
「私の本当のクライアントがあなたと話したいとおっしゃっています」
Nさんがキーを押すと、パソコンのオンライン電話の画面に妻の顔があらわれた。
私はわけがわからず絶句した。
「何もわからないって顔ね」
見たことがないほど冷たい目をして妻がいった。
「何度もチャンスならあげたのよ」
そう言って妻は画面越しにスマホを私に見せた。
スマホの画面には、ある女性と私とのLINEのやりとりが表示されていた。
アンチアカウントが私の悪行を暴露するといってSNSに投稿したものの一つだ。
「根も歯もない事実だとあなたは最後までしらばっくれていたけど、私は知っていたのよ」
アンチアカウントの投稿はデマばかりだったけど、一つだけ確かに本物があった。
数年前、少しの間だけ浮気をしていた相手とのやりとりだった。
妻は気づいていないと思っていた。
「あなたの悪行を暴露したのは、ネットのアンチなんかじゃない。この私」
「あのアカウントは君だったのか、、、」
「素直に誤ちを認めて謝ってくれれば許そうと思っていた。けど、あなたは最後までシラを切り続けたばかりか、仮死剤の誘いに乗って自分だけ死んだことにしてラクになろうとした。あなたは最後まで嘘をつきつづけたあげく私達を捨てて逃げたのよ。だから私はあなたを許さない」
「違う、そうじゃない!」
「さよなら」
妻はためらいなくオンライン電話を切った。
唖然とする私の腕をNさんがグイッと引っ張って、いきなり注射を打ち込んだ。
黄色い液体が針を通して私の身体に入るのが見えた。
仮死剤だ。
「この仮死剤には、もう一つ使い道があるんですよ。一度、死んだ人間は、社会的には存在しないも同然。いくら殺したところで殺人の罪に問われることはない。殺したい人間がいる人にとっては、とても都合がいい。完全犯罪ができるというわけです」
すぐに手足が強張ってきて思うように動かせなくなり、私は床に倒れ込んだ。
「・・・なんで」
その後の言葉は続かなかった。もう口が動かない。
「予定ではもっと静かに終わるはずだったのですがね。最後の最後で、捨てた家族に対する余計な情に突き動かさなければ、あなたも苦しまずにすんだでしょうに・・・」
Nさんは、同情するような顔でそう言い残し、部屋を去っていった。
目は開いていたので部屋の様子はわかったが、もう身体のどこも動かせない。
時間だけが過ぎていく。
やがて朝がきて昼が過ぎ、ホテルの従業員が部屋に入ってきて、倒れ込んだ私を見て悲鳴をあげた。
(助けてくれ!)
いくら声をあげようとしてももちろん声は出なかった。脈もない私は誰がどう見ても死体にしか見えないだろう。
しばらくして、バタバタと人が入ってきた。
警察の人たちだった。
スーツを着た刑事2人が私の身体を見下ろしながら話している。
「身分証の類は所持していませんでした。フロントで記帳した名前や住所もデタラメです」
「身元不明のホトケさんか」
「でも、なんかつい最近、この顔見たことある気がするんですよね・・・あ、そうだ」
若い刑事がスマホを老齢の刑事に見せる。
「この人、似てません?」
「あぁ、ネットで叩かれてたIT社長か。馬鹿野郎、もう死んでんじゃねえか」
「え、あっ、ほんとですね」
「ったくよ」
老齢の刑事が私の顔を詳細に確かめている。
「毒飲んだわけでもなさそうだな、病死か?」
その時、若い刑事が私の腕を見てハッとする。
「見てください、ここ」
ちょうどNが私の腕に注射を打ったあたりを刑事達は見ている。
「注射痕か。よく見つけた!」
その後、刑事2人は慌ただしく動き、私の身体は遺体袋に入れられた。

真っ暗な遺体袋の中で私はひたすら待った。
時計がないので、薬が切れるまでの時間もわからない。
これからどうなるのだろうという不安で気が狂いそうだった。
その時、動きがあった。
遺体袋のジッパーがようやく開けられ、いきなり強烈なライトの光が目に差し込んだ。
目を閉じることもできないので、眩しさで目が痛かった。
そこは手術室のような場所だった。
私はステンレスの台に寝かされていた。
手術着を着た医師らしき男性が無機質な声で告げた。
「検体番号451。身元不明の変死体の解剖をはじめます」
解剖・・・。
その言葉に、私はかつてない戦慄に襲われた。
嘘だ嘘だ嘘だ!私は生きている!死んでなんかいない!待ってくれ!
いくら叫び声をあげても、医師の耳には届きようがない。
医師は容赦ない手つきで、鋭く冷たいメスの刃を私の胸にあて、一気に切り裂いた・・・。

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