高島平団地の怖い話

東京都板橋区にある高島平団地は、
昭和50年代「自殺の名所」として世間を賑わせていた。
高島平団地が建った頃、都内ではまだ高層の団地が珍しく、
投身自殺をしやすかったことが理由と考えられている。
昭和47年に父子3人が自殺した事件をマスコミが報じると、
団地に住む住人ばかりか全国から自殺志願者が殺到した。
昭和55年には年間で133人もの自殺者が出た記録が残っている。
やがて屋上への出入りが禁止され、廊下には身を乗り出せないよう柵が設けられた。
しかし、それでも自殺は止まなかった。
皮肉にも自殺防止のために設けられた柵にロープを結び、自殺を図る人がいたそうだ。
こうして呪われた団地は都内有数の心霊スポットとなった。

これは、かつて高島平団地にすんでいた知人のAさん一家が体験した怖い話だ。

Aさん一家はいわゆる核家族で両親と一人息子の3人家族だった。
高島平団地にまつわる忌まわしい過去についてはまったく知らず、
1998年に高島平団地に引っ越してきたそうだ。

Aさんの奥さんは、引っ越した当初から団地の雰囲気が淀んでいる気がすると何か感じ取っていたようだ。
Aさん自身は霊感もなく、その頃は働き盛りで仕事がとても忙しかったこともあり、あまり気にとめてはいなかった。
朝早く出社し夜遅く帰る毎日。
唯一の気がかりだったのは小学3年生の1人息子Bくんが新しい環境に馴染めるかだったけど、それも杞憂だった。
Bくんは、同じ団地に住む友達をすぐに見つけたようで毎日元気に遊んでいるようだった。

けど、半年ほどして奥さんとBくんが2人して奇妙な体験をした。

奥さんが、
昼間洗濯物をベランダに干していたら、
上から何か大きなモノが落ちてきたのが見えた。
反射的に目をつむってから慌てて何が落ちたのか覗き込むと、下には何も落ちてなかった。
ただ、地上で遊んでいた小さな女の子がじっとAさん一家が住む7階より上の方を見つめていたという。

また、Bくんは、こんな体験をしていた。
ある日の夕暮れ。
団地の公園で友達と遊んでいると、
奥さんがやってきてBくんに手招きした。
迎えに来るなんて珍しいと思って、
Bくんは奥さんの後に続いた。
奥さんは団地の階段を上がっていき、
Bくんは黙ってうしろをついていった。
奥さんはずんずん階段を上がっていき、
7階を超え、
10階を超え、
ついに最上階まであがっていった。
けど、息を切らしたBくんが最後の踊り場の角を曲がった時、奥さんの姿は忽然と消えていた。
屋上に続く柵の前にお供えのような花が飾られていて、気味が悪くなったBくんは家に走って帰った。奥さんは夕飯の材料を買いに出かけていてその時家にはいなかったのだそうだ。

Aさんは、2人の話を聞いて笑うしかなかった。
2人が本気で怖がっているのはわかったけど、どう慰めたらいいのか言葉が出てこない。
ただ、この団地には何かある、それはAさん自身も感じていた。
団地の掲示板に霊媒師の案内や怪しげなお守りの通信販売広告が貼り出されているのを目撃したのだ。
すぐに広告は撤去されたが、
何かがなければ、そんなもの貼りはしないだろう。

それからも奇妙な出来事は続いた。
Bくんが1人で留守番している時に、誰か見知らぬ人が家の中にいる気配がしたり、
奥さんが電話を取ると呻き声が聞こえたり。

そんなことが続くせいで、家族仲はどんどん悪くなっていった。
Aさんと奥さんは喧嘩が絶えなくなり、Bくんは反抗的になっていった。

団地から引っ越しをしよう。
そうAさんが考え始めた矢先のこと・・・

「消えてしまったんですよ、2人とも。文字通り煙のごとく。荷物も何もかも残して。今でも見つかっていません」
居酒屋でAさんの話を聞かせてもらっていた私は返す言葉を失った。
「2人はあの団地のどこかに閉じ込められているんじゃないか、そんな気がしてならないのです」
Aさんの目には涙が浮かんでいた。

ところが、Aさんが帰った後、同席していたもう一人の知人がこっそり教えてくれた。
「いなくなったと言っていたけど本当は奥さんがお子さんを連れて出ていってしまったんですよ。団地から急に人が行方不明になってたら警察が黙っていませんよ。ただ、それを受け止めきれず、Aさんは団地の呪いだと思い込んでしまっているんです」
団地の超常的な現象を信じ始めていた私はポカンとするしかなかった。
「ノイローゼみたいなものなんでしょうね。昔は本当に仲がいいご一家だったのに。
ただ、Aさんが、あんな風になってしまうくらいなのだから、高島平団地にはやはり何かがあるのでしょう」

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