第112話「青い屋根の家」

2017/09/11

その絵には、不思議な魔力があるようだった。

青い屋根の家を描いた油絵。
家は雑木林に囲まれていて、二階の窓辺に女性がたっている。
何の変哲もない絵だ。
凝った技巧も味わい深さもそれほどない。
同じ大学の学生が描いたものと言われても信じてしまうだろう。
壁に飾られてライトが当てられているので、かろうじて鑑賞用っぽく見えるだけだ。

だけど、私はその絵になぜかとても引きつけられていた。
説明のつかない力だった。
時計を確認すると、私は、その絵の前に備えつけられている長椅子に30分以上も座っていたらしい。
閉館間近の小さなギャラリーにはひとけがほとんどなかった。

「その絵は呪われた絵と言われているんですよ」
いつの間にか傍に学芸員風の女性が立っていた。
「井村」と書かれたネームプレートをつけている。
40代くらいで、丸い眼鏡をかけていた。髪はボサボサで自分のおしゃれよりも絵の審美眼を磨いてきたタイプに見える。
彼女の存在に気がつかないほど私はじっと絵を見つめていたらしい。
「呪われた絵、ですか・・・?」
私は、数秒かかって返答をした。
すると、学芸員の井村さんは、絵の中の女性を指差した。
「彼女が涙を流すとか、窓辺からいなくなるとか・・・まあ、ちょっとした都市伝説です。なので、普段は倉庫にしまっておいて、こうしてたまに、飾ってるんです」
「まるで、絵が生きているみたいですね・・・」
「おっしゃる通り。生きているんですよ、この絵は・・・」
「・・・作者は誰なんですか?」
「実はわからないんです。描いた人も、タイトルも。けど、ずいぶん、気に入ってくださったみたいね」
「ええ。自分でもよくわらかないんですが・・・」
「実は、この家、まだ実在するんですよ・・・」
「え・・・?」

***********************

タクシーを降りると、目の前に、絵に描かれていたとおりの青い屋根の家が建っていた。
青い屋根、白い板壁。あの絵は写真のように忠実に描かれていた。
学芸員の井村さんから教わった住所に間違いはなかった。

どうしてだかわからないけれど、自分の目で確かめずにはいられなかった。
あの絵がどんな人によって描かれたのか興味があった。

ぐるりと見渡せる範囲に他の民家は一軒もなかった。
・・・青い屋根の家には今でも誰か住んでいるのだろうか?

私は1歩ずつ玄関に近づいていった。
呼び鈴を押す。
壊れているのか音が鳴った気配はない。
「ごめんください」
声をかけてみるが反応は返ってこない。
玄関の戸を押してみると、開いた。
鍵はかかっていなかった。
「ごめんください!」
返事はない。
私は中に入っていった。
私の背中を押すように風が吹いた気がした。
家の中は空虚な感じだった。
家具や調度品はひととおりそろっているが人が住んでいる生活感や温もりがなかった。
・・・死んだ家。
そんなフレーズが頭に浮かんだ。

その時だった・・・。
二階から微かに何かが聞こえてきた。

シクシクシク・・・。

誰かが泣いているようだった。
私は音に誘われるように、二階へ上がっていった。

二階の一室の扉が開いていた。
その中からしゃくりあげる泣き声が聞こえてくる。女性の声のようだ。

私はゆっくりと戸を開けた。
机に突っ伏して泣いている女性の背中が見えた。私は目を疑った。
女性の服装が、絵に描かれていた女性とまったく同じだったのだ。
絵のモチーフは彼女に間違いない。ということはつい最近描かれたものなのか。
「あの・・・」
声をかけてみるが、彼女は一向に泣き止む気配がない。
その時、私は気がついた。
この部屋はちょうど、絵で女性が窓から顔を出していた部屋だ。
私は窓辺に立ってみた。
・・・不思議な感覚がした。まるで、はるか遠くから、誰かが窓辺に立つ私を見ているような。絵の中に入り込んでしまったような・・・。

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閉館後のギャラリー。学芸員の井村香代子は、青い屋根の家を描いた絵をじっと見つめていた。その顔には何の表情も浮かんでいない。
青い屋根の家の二階。窓辺には女性が立っている。
たしか美大生と言っていたか。
彼女も絵に魅入られ、どうやら取り込まれてしまったようだ。
彼女には申し訳ないことをしたと思うが、たまにこうして新しい栄養を与えなければ、絵の怒りがいつ自分に向けられるかわからない。
そう、この絵は確かに生きているのだ・・・。
井村は絵を壁から外すと、黒い布をかけ、台車に載せて倉庫へとしまいに向かった・・・。

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