第110話「302号室」

警察関係者には心霊体験をする人が多いという。
僕の叔父さんのKさんは県警の刑事だった。
これは、そんなKさんから聞いた怖い話だ。

Kさんは、殺人事件の捜査を担当していた。陰惨な殺人現場を見ることはしょっちゅうだそうだ。若手の頃は、悪夢にうなされる毎日だったらしい。それでも何十年も刑事をやっていると慣れるもので、血生臭い現場に出くわしても何も感じなくなったという。

そんなKさんでも、恐ろしさに震えた出来事があったという。

ある年の夏のことだった。
その年は雨が少なく連日、猛暑日が続いていた。
ある日、雑木林の中で少女の遺体が発見された。家族から特定家出人の届けが出ていた少女だった。失踪から2週間後のことだった。
性的暴行の跡はなかったが、鋭利な刃物で何ヵ所も切り刻まれていた。鑑識の一人は、「人体実験でもしたみたいだ」と呟いていたという。

不審者の洗い出しが行われたが、怪しい容疑者は浮かばない。
そんな中、Kさんは、少女の首にかけられたネックレスに注目した。ネームプレートのような金属タグがついていて、302号室と彫られていた。しかも、かなり錆ついていて、とても被害者の年代の女の子が身につけるようなものではなかった。被害者が自分の意志でつけたようには思えない。

出所を調べると、県境にある精神病院でかつて患者を管理するために使われていたタグだとわかった。その病院はとっくの昔につぶれていて、今は廃墟と化した建物が残っているだけだ。
どうして、精神病院で使われていたタグを少女が身につけていたのか。
謎は深まるばかりだった。
Kさんは、手がかりを求めて、精神病院の跡地を訪れてみることにした。

精神病院跡地は山奥にあった。周りは鬱蒼とした雑木林に囲まれていて、駐車場に止めた車を降りた瞬間、蝉時雨が耳に痛かった。
かつては白かったであろう建物は、年を経て、墨汁をかぶったみたいに黒ずんでいた。

正面玄関はチェーンで封鎖されていたが、散らかったゴミや落書きを見れば、地元の若者達が出入りしているのがわかった。
建物をグルッと回ると、窓ガラスがきれいに割れた場所があった。彼らは、ここを出入口として使っているのだろう。
Kさんは、その窓から中へ入った。
中に入ると、日中だというのに夜のように真っ暗だった。念のため懐中電灯を持参して正解だった。
懐中電灯の明かりを頼りにKさんは建物を捜索していった。
中は荒れ放題だった。割れたガラスがそこら中に散乱し、テーブルやキャビネットはなぎ倒され、書類が散らばっていた。
Kさんは302号室を目指して階段をのぼっていった。
誰もいない真っ暗な病院に自分の足音だけが響いて聞こえる。
Kさんは、だんだんと不安になってきた。Kさん自身は心霊現象など頭から信じていなかったが、周りの同僚の中には事件被害者の霊を見たという人もいる。冷静であろうとする気持ちとは裏腹に心臓の鼓動は早くなる一方だった。
3階につき、懐中電灯で部屋番号を確認しながら進んだ。302号室の前についた。
緊張で汗ばんだ手で引き戸をゆっくりあけていく。
途端にムッとした臭いが鼻を刺激した。
・・・血の臭いだった。
ハンカチで鼻をふさぎ、懐中電灯で中を確認する。6畳間ほどのスペースに簡易ベッドと戸棚。そのあちこちに血が飛び散っていた。
・・・間違いない、ここが犯行現場だ。
けれど、Kさんの心に手がかりの発見を喜ぶ気持ちは湧いてこなかった。心を占めるのはただ一つ。早くここから出たいという気持ちだけだった。
この建物に入ってから首筋にチリチリとした違和感があった。まるで、ずっと誰かに見られているかのような嫌な感覚だった。一刻も早く建物から出て応援を呼ぼう、そう思った時だった・・・。

キィィ

建物のどこからか、きしんだ戸を開くような音がはっきりと聞こえた。風で戸が開いたのか?いや、それとも誰かがこの病院の中にいるのか?もしかしたら少女を殺した犯人かもしれない。Kさんは、302号室を後にして廊下を奥へ進んだ。すると、懐中電灯の明かりが何かを捉えた。
前方の長椅子に病院の入院服を着た若い女性が座っているのが見えた。
まるでかつてここが精神病院だった時の患者のようだった。
俯いていて顔は見えない。懐中電灯で照らされていても反応はない。
「おい、きみ。大丈夫か?」
Kさんは少女に近寄り呼びかけた。
すると、少女はゆっくりと顔を上げ、突然、Kさんにすがりついてきた。
「く・・る・・・」
そう少女は訴えてきた。Kさんは少女の顔に見覚えがあった。彼女もまた、失踪して家族から捜索願いが出ていたのだ。
少女の首には殺害された被害者と同じようなタグがつけられていた。タグには315号室と彫られていた。
「くるというのは君を監禁していた犯人のことか?」
「あいつが・・・くる・・・あいつがくる・・・あいつがくる!」
少女は頭を抱えて何度も繰り返した。
恐怖から、かなり精神的に錯乱しているようだった。
とにかく彼女をこの建物から救出しなければ。Kさんは少女に肩を貸して入口を目指した。周囲への警戒は怠らなかった。
心なしかさっきより首筋に感じる嫌な感覚が強くなった気がする。
ようやく入口が見えてきた。外の明かりがとても懐かしい。
まず、少女を外に出した。
続いて自分も外に出ようとした時、急に背筋に寒気が走った。
ふいに耳許で、男の声がした。

オマエモ殺シテヤロウカ・・・。

はっきりそう聞こえた。振り返っても誰もいない。身の毛がよだつ思いだった。
Kさんは、慌てて転がるように外に出た。

少女を自分の車に避難させ電話で応援を要請した。
緊張が続いたせいで息苦しかった。ネクタイを緩めようと首筋に手をやったその時、Kさんの手に何かが触れた。
錆びた金属製のタグプレート・・・。
表面には407号室と彫りこまれていた・・・。

結局、この事件の犯人は今でもつかまっていないという。Kさんが助け出した少女は命こそ助かったものの錯乱状態から回復することはなく有益な証言を得られなかった。
あの時、Kさんが聞いた声はなんだったのか。Kさんは、この話を僕に語ってくれた時、最後にこういった。
「・・・もし、悪霊が犯人だとしたら、勝ち目はないわな」

Kさんは、現役引退を間近にして、自宅で何者かによって殺されてしまった。その犯人もいまだにつかまっていない・・・。Kさんの手にはなぜか407号室と彫られたタグが握られていたという。

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