第109話「路地に立つ人」

私の家は最寄り駅から歩いて15分ほどのマンションです。
最短距離で行くには、住宅街の路地を何度も曲がらないといけません。
電灯もあまりない裏路地ですから、日が落ちた後はひとけもほとんどなくなり、仕事で帰りが遅くなった時は、自然と早足になってしまいます。
路地は両サイドを住宅の塀に囲われているので、視界も悪く、数年前には女子高校生が見知らぬ男に襲いかかられた事件もあったそうです。
引っ越してきたばかりの時は、何度も道に迷ったものです。

ある日のことでした。
その日も迷路のような裏路地を縫って家を目指していると、前方の電柱の横に男性が立っているのが見えました。スーツを着た会社員風の男性でした。
・・・でも奇妙でした。
男性は塀の方を向いて立ち、ぶつぶつと何かをつぶやいていたのです。
距離が遠かったので何を言っているのかまでは聞き取れませんが、怒っているような声色でした。
何か嫌だなぁと思いました。
迷いましたが、私は道を変えることにしました。

でも、それがいけなかったのです。
見慣れぬ風景を方向感覚だけで歩いたあげく、私はすっかり迷ってしまいました。家まで数百メートルとない場所で。自分の方向音痴ぶりを恨みました。本当ならとっくについているだろうに、いつもの倍は角を曲がった気がします。
ようやく見たことがある道に戻ってきました。でも、そこは、不審な男性が立っていたさっきの路地でした。
男性はまだいました。相変わらず塀に向かって意味不明な言葉を発しています。なぜか、目に見えない力にこの道に戻されたような、そんな嫌な感覚がありました。
・・・でも、通り抜けるしかない。
私は駆け足で男性の方に向かいました。視線を向けないようにして。
無意識のうちにスマホをギュッと手に握りしめていました。
視線の横に男性の背中を感じながら私は足音を立てないように、通り抜けようとしました。
ですが、その時、急にガッと手首をつかまれ引き留められました。
「ひっ」と声が出ました。
さっきまで塀を向いていた男性が私の方に向き直り、懇願するような睨むような目つきで私を見上げて言いました。
「・・・どっち・・・駅」
・・・駅?
私は震える手で駅の方角を指差しました。
すると、男性はパッとつかんでいた手を離し、何も言わず駅の方に歩き去っていきました。
男性が見えなくなっても震えが止まりませんでした。男性の手は、とても冷たく氷のようでした。
つかまれた手首を確かめて、私は悲鳴を上げました。つかまれた場所に、べったりと、手の形に血がついていたのです。

この話を霊感が強い知り合いに話したところ、彼女が言うには、男性の幽霊も迷路のような路地で道に迷ってしまったのではないかとのことでした・・・。

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