第85話「からっぽ」

いつからだろう・・・。
部屋の中が、からっぽになった気がするようになったのは。
大事な何かが欠けたような気がする。
特別、何か捨てたわけでもないのに、何かが足りない。
いや、足りないのではなく何もないのだ。
僕の部屋の中は、家電や本やインテリアで物は溢れているのに、なぜか、からっぽの部屋に自分一人だけでいるような寂しさを感じる。
このところ、ずっとだ。理由がわからないから、余計に辛い。
人に説明して理解を求めることもできず、心に棘がずっと刺さっているような状態だった。
仕事に身が入らず本当に困っていた。

理由が判明したのは、突然のことだった。
その日、終電を逃した同僚何名かを家に泊めることになった。
同僚の一人が家へ入った瞬間、僕に向かって言った。
「××さんって・・・一人暮らしでしたよね?」
「そうだけど?」
「・・・ですよね」
なんだか奥歯に物がはさまったような言い方だった。
気になったので、みんなが寝始めた頃、その彼に尋ねてみた。
「さっき、何か言いかけてなかった?」
「いや、たいしたことじゃないんですけど・・・」
「気になるから言ってよ」
「・・・変な風に思わないでもらいたいんですけど、俺、昔からちょっと感じれるんですよ」
「それって、霊的なものってこと?」
「・・・ええ」
「まさか、僕の家に何かがいるの?」
「いえ、逆です。いないんです。つい、最近までいたような強い念が残っている気がするんですけど・・・」
「つまり、出ていったってこと?」
「たぶん」
「悪い霊なの?」
「いえ、その霊は××さんをずっと守っていたんじゃないですかね。愛情を感じます。たぶん、女性です・・・婚約者と死別した人の家で似たような念が残っているのを感じたことがあります」
「・・・僕の家にいたのって誰なのかわかる?」
「俺にもそこまでは。むしろ、××さん、心当たりないんですか?」
・・・なかった。35歳にもなって独身で彼女もいない。今まで、それほど深い付き合いした交際相手はいない。親は存命だし、僕を守ってくれる異性の幽霊に思い当たるふしはなかった。ご先祖様だろうか。
今まで、ずっと一人暮らしで満ち足りていて、結婚をしたいとも思っていなかったし、彼女が欲しいともあまり思わなかった。親は心配して、先日、見合い写真を送ってよこしてきたが。
そこまで考えて、僕は、ふと思った。
僕は、本当に一人暮らしだったのだろうか・・・。
あの満ち足りた感覚。子供の頃から極度の寂しがり屋だったのに、今にして思えば、一人暮らしの生活に孤独感を覚えなかったのは奇妙だ。
一人暮らしをするようになって一人言が増えたのに、おかしいとはこれっぽっちも思わなかった。テレビを見ながらツッコミを入れる。ご飯を食べながら誰ともなしにしゃべる。そんなことが当たり前だった。むしろ、黙っている方が違和感があった。
僕は、気づかないうちに、女性の幽霊と同居していたのではないか。
確信なんてないけど、そんな気がしてきた。
先日のお見合い写真が彼女を悲しませてしまったのかもしれない。
自分がいると僕はずっと結婚できないと思って、出て行くことにしたのではないか。
妄想だと思いつつも、考えれば考えるほどそんな気がしてくる。
その時、僕の目から涙が一筋、こぼれ落ちて頰を伝っていった。
今、僕の心を占めているのは深い喪失感だった。

それから2週間。相変わらず部屋の中が、からっぽだという感覚は抜けなかった。彼女は戻ってきていない。でも、過ぎてしまったことだ。新しい環境に慣れなければならない。そう自分に言い聞かせて仕事に集中しようとした。
でも、身が入らない。いつもならしないようなミスを犯す。家に帰っても気が休まらず、神経がずっとささくれだっていた。悪循環だった。

その日も、作業がはかどらず遅くまで残業するハメになった。コンビニ弁当を片手に、ため息をつきながら家の鍵を開けて、中に入った。
瞬間、暖かいものに包まれた。夕飯が用意されている家に帰ってきたような感覚だった。
「おかえり」
自然と口から言葉が出ていた。

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