第25話「悪夢」

2016/08/31

ベッドで眠っていると、何の前触れもなく、誰かが私の上に馬乗りになってきた。
老婆だった。
ボロボロの着流しを着た老婆は、涎を垂らしながら、黄ばんだ歯を剥き出しケタケタと笑っている。
ああ、山姥やまんばが私を殺しに来たんだ・・・。私は冷静に理解した。
山姥は、手に持っていた錆びだらけの鉈を振り上げ、私の脳天に振り下ろした。

ハッと目が覚めた。
夢か・・・。
身体中、汗びっしょりだった。
時刻を確認すると深夜3時を過ぎたところだった。
夢の生々しさがまだ肌に残っていた。

私は、キッチンの冷蔵庫から水を取り出し、喉を潤した。
水分を取ったら、少し冷静になってきた。
さっきの悪夢は、子供の頃に見た山姥が旅人を追い回す人形劇が原型となったのだろう。
たしか、自分が死ぬ夢は「再生」を意味する吉夢だった気がする。
そうやってなんとかポジティブに考えようとしてみた。
都心の1DKでの一人暮らし。寂しいといったらウソになる。
知らずにストレスが溜まっていたのかもしれない。
窓の外から、車う音が聞こえる。
あれ、窓、開けて寝たっけ・・・?
そう思った瞬間だった。
突然、カーテンが引きはがされ、ベランダから山姥やまんばが現れた。
威嚇するように不揃いの歯を鳴らしている。
山姥が奇声を上げながら私の方に向かってきた。
「ひぃ!」私は、逃げようとしたが壁に追い込まれてしまった。
目の前に山姥の顔がある。ニタァとねっとりした笑みを浮かべている。
私は喉が熱くなるのを感じた。山姥のなたが私の喉元に食い込んでいた。
声がでない。口からどんどん血が溢れてくる。
全然、止まらない。口を閉じても隙間から赤黒い血が溢れてくる。

お願い止まって・・・。

身体中の血が抜けていくようだった。

ガバッと目が覚めた。
私、生きてる・・・?
喉に手をやる。どこからも出血していない。
よかった、夢だった・・・。
どうやら夢から醒めたと思った後も夢を見ていたようだ。
2回も山姥に殺されるなんて、とんでもない悪夢を見たものだ。
悪夢の恐怖を振り払うように、私は掛布団を払いのけた。

汗を流して気分を切り替えるためシャワーを浴びることにした。
熱いお湯を浴びているうちに頭がボーっとしてくる。
さっきの夢のことは意識の外に追いやり、仕事のことに頭を切り替えていった。
その時、背後に気配を感じた。
シャワーの音に混じって、獣じみたフーフーという息遣いが聞こえる。
私は、ゆっくりと首を捻って、後ろを振り返った。
山姥やまんばが立っていた!
腹部に激痛が走った。山姥の鉈が私のお腹を貫いていた。
私の悲鳴を楽しむように、山姥がケタケタと笑っている。
足が宙を浮いた。
足を何度もバタつかせて床を探したが、空を切るばかりだった。
ケタケタケタケタ、山姥はずっと笑っている。

目を開くと、天井が見えた。
また、夢?
・・・もう嫌だ。
一体、何だというのだ。
私は、現実であることを確かめようと、頬をつねってみた。
痛い。今度こそ現実のはずだ。だが、本当にそうだろうか?
夢うつつのようなフワフワした気持ちだった。
余計なことをせず、このまま寝てしまおう。
そう思って、目を閉じた。
だが、悪夢に出てくる山姥のイメージがフラッシュバックして、なかなか眠りに落ちることができない。
お願い眠らせて・・・。誰にともなく祈っていた。

結局、まどろむこともなく朝を迎えた。
どうやら悪夢からは抜け出せたようだが、身体にかなり疲労感が残っている。
今日は、仕事から帰ったらすぐに寝よう。
私は、顔を洗って、化粧を手早く済ませると、スーツに着替えて家を出た。

自宅から駅までは歩いて10分ほどだ。
通勤通学の人が行き交う駅沿いの高架下通りを歩いていく。
時計を確認する。だいたい、いつも通りの時間だった。
ふいに背筋に悪寒が走った。
まさか・・・、そんな・・・。
私は、来た道を振り返った。
なたを振り上げ、こちらに向かって猛スピードで走ってくる山姥が見えた。
「きゃああああ」
私は走って逃げた。人を避けながら全速力で。
山姥は他の人達には見向きもせず私に一直線に向かってくる。
通勤通学の人達は山姥が見えていないかのように平然と歩いている。
このままでは追いつかれてしまう。
「助けてください!」私は、道行く会社員の男性の袖を掴んだ。
けど、その手がスルリと抜けた。
私の声が聞こえなかったように会社員の男性はそのまま歩いていく。
視線を転じると、通りの先に駅前の交番が見えた。あそこまで逃げれば。
私はヒールを脱ぎ捨て裸足で走った。

「助けてください!」私は交番の前に立っていた警察官にすがりついた。
けど、警察官は前を向いたまま遠くの方を見つめているだけだった。
「どうして?どうしてよ!」
私は何度も警察官の制服をつかんで揺さぶったが、反応はかえってこなかった。
ケタケタケタケタ・・・。
笑い声がすぐ横から聞こえてきた。
すぐ近くに山姥が立っている。
私は這って逃げようとした。
しかし、すぐに、飛びかかってきて山姥に押し倒されてしまった。
山姥は私に馬乗りになると鉈で私の身体を何度も何度も切りつけた。
鋭い痛みが身体中に走った。
警察官は目の前で行われている残虐な行為にも無反応だった。
道行く人々は、私を無視して駅の中に入っていく。
「やめて!やめて!」私は山姥に懇願した。
ケタケタケタ。山姥は、笑いながら、私を切りつけ続けた。

目覚めては殺され、目覚めては殺され、もう何度繰り返しただろうか。
いまだに私は悪夢から抜け出せずにいる。
初めのうちは数を数えていたのだが、50回以上殺されてから数えるのをやめた。
長い時には夢の中で一週間以上経ってから山姥が現れた時もあった。
・・・次こそは現実に戻れるのではないかという望みはまだ捨てきれずにいる。
だが、こうも思うのだ。
本当に目が覚めて現実に戻れたとしても、山姥は私の元に現れるのではないか。
そして、それが私の最期なのではないか、と。

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