第10話「るすばん」

2016/08/30

「誰か来ても、絶対にドアを開けたらダメよ」
お母さんは、最後に念を押して出かけていった。
昔、お世話になった人が病気で倒れたという報せを受けて、急に泊まりがけでかけつけることになったのだ。
お父さんも出張で明日のお昼まで帰ってこないから、今日、花梨かりんは家で一人お留守番をすることになったのだった。
花梨かりんは今年で小学校3年生。大抵のことは一人でできるが、朝まで一人で留守番をするのははじめてだった。花梨以上に、お母さんが不安そうで、何度も同じことを繰り返し花梨に言い聞かせた。「火の元に気をつけてね」は5回も言われたし、ガスの元栓はお母さんが自分で6回も確認していた。

家に一人きりになった花梨は、意味もなく廊下を駆け回ってみたり、階段を上り下りしてみた。
なんだかとても愉快だった。自分だけのお城ができたような気持ちがする。
大冒険をしているみたいにワクワクした。
さあ、今から何をしようかな・・・。
花梨は、ひとまずキッチンに向かい冷蔵庫からオレンジジュースを取り出してコップに注いだ。
普段は、甘い物を摂りすぎないようにと止められるのだが、今日は花梨が好きなだけジュースを飲んでも怒る人はいない。
一杯目を飲み干すと、花梨は、もう一杯注いで一気に飲んでしまった。
三杯目に行こうとして、あんまり減りすぎていると後で怒られるかもしれないと考え直して、ジュースを冷蔵庫に戻した。
お腹が満たされると、花梨は二階に上がった。
お母さんとお父さんの寝室へ入り、クローゼットを開けてみる。
お母さんが着ている大人の洋服がいっぱいハンガーにぶらさがっている。
花梨は、気になった服を何点か試着しては、鏡の前でポージングをしてみた。
まるでサイズは合ってなかったが、大人の仲間入りをしたようで、なんだかとても楽しかった。
クスクス笑いが止まらない。お留守番って楽しい!

一人遊びをしているうちに、あっという間に夜は更けてきた。
温めて食べるよう言われていた夕ご飯をレンジでチンして食卓に並べた。
一人きりの夕ご飯もはじめてだった。
テレビをつけて欠かさず見ているバラエティ番組にチャンネルを合わせる。
賑やかになったけど、ふいに寂しさがこみ上げてきた。いつもなら、お母さんと二人で見て笑い転げているのに、一人っきりで見ていると、まるでおもしろくなかった。しかし、花梨は、一人ぼっちの心細さを振り切ろうとした。
今日しかないんだから目一杯楽しまなくちゃ。
おもしろい場面でもなかったけど、花梨は笑い声をあげてみた。

9時過ぎ、お母さんが心配して電話をかけてきた。
「大丈夫?なんともない?」
「大丈夫」
やせ我慢だった。本当は早く帰ってきて欲しかった。一人遊びににもすっかり飽きてしまい、今感じはるのは一人ぼっちの心細さだけだった。だけど、それを認めてしまったら、留守番もできない子になってしまうと思って、素直になれなかった。
「何かあったらすぐ電話するのよ」
「わかった」
そう言って、花梨は電話を切った。
心なしかいつもより家が広く感じられる。廊下の先の部屋のドアが半開きになっていて暗闇がぽっかり口をあけていた。誰もいないはずなのに、 何だか、人の気配がするような気がして怖い。
もう寝ようかな・・・。
ほんとうならお風呂に入らないといけないのだけど、一人で入る気持ちになれなかった。

その時、突然、インターフォンが鳴った。
びっくりして声を上げそうになった。
こんな時間にいったい誰?
お母さんは絶対に出るなと言っていた。
花梨は、じっと廊下で待った。
繰り返しインターフォンを鳴らす音がする。
早く帰って!花梨は耳を塞いだ。
花梨の祈りが通じたのか、ようやく音は止んだ。
誰だったんだろう・・・。
花梨は、玄関脇の壁に訪問者を映すモニターが設置されているのを思い出し、見に行ってみたが、モニターには誰も映っていない玄関先が映っていただけだった。

花梨は、二階の自分の部屋に上がり、布団を頭からかぶった。
目が冴えてなかなか眠れなかったが、遊び疲れていたおかげで、いつのまにか眠りに落ちていた。

目が覚めた時、部屋は真っ暗だった。
時計を見ると午前3時を過ぎたところだ。
いつもならこんな時間に起きないのに・・・。
花梨は、再び眠ろうと目を瞑るが、部屋の隅や天井の闇が気になって仕方なかった。
墨汁みたいに黒い影の中に、この世のものではない何者かがいるのではないか・・・。
そんな気がしてくる。
懸命に意識をそらして目を瞑る。
しかし、目を瞑ると、今度は耳が冴えてしまう。

ギシリ。ギシリ。

家がきしんでいるのか、排水管を水が通っているのか、ときおり、奇妙な音が家の中から聞こえてくる。
普段から聞こえていたような気もするが、家に一人ぼっちの今は、その音に何か意味があるのではないかという気がしてならない。
その時だった。
パキッという異質な音が庭からした。

庭に誰かいる・・・!?

花梨は、恐怖でパニックを起こしそうになった。
恐る恐るカーテンを開けて、隙間から外の様子をうかがうと・・・いた!
庭に黒い人影・・・。
スーツを着た男の人のようだ。
お父さんかと一瞬、思ったが、お父さんは出張で明日の昼にならないと帰ってこないはずだ。
黒い人影は、一階のリビングの様子を覗こうとしているように見えた。
だれ!?だれ!?だれ!?
なんで花梨の家の庭にいるの!?
心臓の音がバクバク聞こえる。
そうだ!お母さんに知らせよう!お母さんならどうしたらいいか教えてくれるはずだ。
花梨は、音を立てないように起き上がると、一階の電話機に向かうことにした。
花梨は、真っ暗な階段を一段一段慎重に降りていった。
電気をつけたかったが、明かりをつけて花梨の動きを庭の男に知られてしまうのはよくないような気がしたので、手探りで階段を降りざるを得なかった。

ギシ。

一歩ごとにどうしても足音がしてしまう。

ギシ、ギシ、ギシ。

ようやく一階にたどり着いた時には、花梨は身体中に汗をかいていた。呼吸もかなり荒くなっていた。
受話器にすがりつき登録されているお母さんの携帯電話の番号を呼び出した。
お願いつながって!
プルルルルと呼び出し音がしばらく続いて、電話が繋がった。
「お母さん、あのね、家の外に誰かいる!」
花梨は一気にまくしたてた。
しかし、返事は返ってこない。
「お母さん・・・?」
電波状態が悪いのか、ザァーという音しか聞こえない。
風の音なのか、なんだか人のうめき声のようにも聞こえる音だった。
その時、ふと横を向いた花梨は見てしまった。
一階のリビングのカーテンが少しだけ開いていて、窓の外から、男が家の中を覗き込んでいた。
男は花梨と目が合うと、ニタリと不気味な笑みを浮かべた。
花梨は叫び声を上げて受話器を取り落とした。
男は、サッと姿を消した。
どこに行ったの?
そう思った次の瞬間、インターフォンが鳴った。
乱暴な鳴らし方で何度も何度も執拗しつように鳴った。
そして、ドアノブが激しく回った。
男はなんとかして家に入ろうとしているのだ。
「やめて!お願いこないで!」
花梨は叫んだ。
インターフォンは狂ったようになり続け、ドアノブは何度も何度も回り続ける。
と、次の瞬間、急に静寂が訪れた。
あきらめたの?
花梨がそう思った矢先・・・。

カチャリ。ドアの鍵が開けられる音・・・。

男は鍵を持っていたのだ。どうして?わけがわからなかった。
逃げなくちゃいけないとわかっているのに、花梨は、その場から動けなくなってしまった。
ドアがゆっくりと開かれる。花梨はいやいやをするように頭を振った。
男の革靴が玄関に入ってくる。
ダークグレーのスーツが見える。
花梨は、恐怖を我慢できず目を瞑った。

「花梨?」

聞き覚えのある声。
目を開けると目の前にお父さんだった。
花梨は、言葉を失った。
「どうしたんだ?こんな遅くまで起きてたのか」
「お父さん?どうして・・・?」
「少し早く帰れたんだ」
へなへなと座り込んでしまい、しまいには泣き出してしまった花梨を見て、お父さんは不思議そうな顔をしている。
「一体どうしたんだ?」
ようやく泣きやんだ花梨は、お父さんの顔を見上げて、今度は絶叫した。
お父さんの背後に、あの男が薄笑いを浮かべて、立っていた・・・。

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